ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
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概要
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を1922年から1945年まで、終身指揮者を1947年から1954年まで務め、20世紀前半を代表する指揮者のひとりとされている。ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー等のドイツ音楽の本流を得意とした。一般には後期ドイツ・ロマン派のスタイルを継承した演奏とされ[1]、作曲家としても後期ドイツ・ロマン派のスタイルを継承したことから、ライバルのトスカニーニと対極に位置づけられることもあるが、「堅固な構築性をそなえた演奏を『ロマン主義的演奏』というだけで片付けてしまうのは軽率」とする見解もあり[2]、またフルトヴェングラー自身は「後期ロマン主義者」と看做されることを極度に嫌い、「私はロマン主義者でも古典主義者でもない」と語ったともいわれる[3]。
音楽評論家の吉田秀和はフルトヴェングラーについて、「濃厚な官能性と、高い精神性と、その両方が一つに溶け合った魅力でもって、聴き手を強烈な陶酔にまきこんだ」[4]「(ベートーヴェンが)これらの音楽に封じ込めていた観念と情念が生き返ってくるのがきこえる」[5]と評している。
現在でもCDが続々と発売され、放送録音、海賊録音の発掘も多く、真偽論争となったレコードも少なくない。
妹メーリットは哲学者マックス・シェーラーの妻であり、甥ベルンハルトと妻エリーザベト・フルトヴェングラーの連れ子カトリーンの間の娘のマリア・フルトヴェングラーは女優で医師であった。
音が出る前から指揮棒の先が細かく震え始め、アインザッツが非常にわかりにくいその独特の指揮法[6]から、日本ではフルトヴェングラーをもじって「振ると面食らう」などと評され、「フルヴェン」の愛称で親しまれている。
- ^ 脇圭平・芦津丈夫『フルトヴェングラー』岩波新書、1984年、ISBN 978-4004202820、49頁。
- ^ 脇圭平・芦津丈夫『フルトヴェングラー』岩波新書、1984年、50頁。
- ^ 脇圭平・芦津丈夫『フルトヴェングラー』岩波新書、1984年、55頁。
- ^ 吉田秀和『世界の指揮者』新潮文庫、1982年、ISBN 978-4101242026 225頁。
- ^ 吉田秀和『世界の指揮者』新潮文庫、1982年、227頁。
- ^ 脇圭平・芦津丈夫『フルトヴェングラー』岩波新書、1984年、125、126頁。
- ^ ヴェスリンク『フルトヴェングラー 足跡-不滅の巨匠』111頁
- ^ 東京フルトヴェングラー研究会
- ^ フルトヴェングラー・センター
- ^ 同録音は、東芝が1955年に初めて出したLPレコードとなった(規格番号:HA-1001)。
- ^ ヴェスリンク『フルトヴェングラー 足跡ーー不滅の巨匠』128-129頁、334-338頁
- ^ 後年に『丸山眞男座談9』に再録(岩波書店)。
固有名詞の分類
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