ロームシャ
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遺骨
1990年にタイのカーンチャナブリー近郊でロームシャのものと思われる遺骨700体以上が発掘された[13]。これらの遺骨は労務中に伝染病に倒れた人々のもので、当時一緒に労務をさせられていたオーストラリア人元捕虜の証言によれば、生き埋めにされた感染者もいたという[14]。
参考文献
- 倉沢愛子『資源の戦争 「大東亜共栄圏」の人流・物流』2012年。
関連項目
- ^ a b c d e 戦後70年:数字は証言する データで見る太平洋戦争(7)アジアは一つだったのか? 帝国崩壊 死者は2000万人を超えた - 毎日新聞
- ^ a b c d 日記でみる日本占領時代の蘭印 ビルマ―タイ鉄道に於いて書かれた日記 2004年 Nederlands Instituut voor Oorlogsdocumentatie (オランダ戦争資料研究所)
- ^ a b c d e 左藤 正範 インドネシアの歴史教科書における「ロームシャ」について 東南アジア研究 32(4), 495-522, 1995-03
- ^ ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて 増補版 下』p.315
- ^ a b 日弁連『日本の戦後補償』pp.77-80
- ^ 『新編日本史をみなおす 戦争と近代』p.194
- ^ a b 芳賀 美智雄 インドネシアにおける日本軍政の実態 -その光と影
- ^ a b c 芳賀美智雄 (2007年3月). “インドネシアにおける日本軍政の功罪 (13/19)” (PDF). 防衛研究所. 2020年8月4日閲覧。
- ^ 講演会 アジア太平洋戦争と東南アジア 後藤乾一 『外交史料館報』第 27 号(2013 年 12 月)
- ^ a b c 倉沢愛子 2012, p. 20.
- ^ a b c d e f Takuma, Melber「The Labour Recruitment of Local Inhabitants as Rōmusha in Japanese-Occupied South East Asia」『Conquerors, Employers and Arbiters: States and Shifts in Labour Relations, 1500–2000』2016年12月、165-185頁。
- ^ 『ヤスクニとむきあう』「アジアから見た靖国」pp.124-134/村井吉敬
- ^ a b 『泰緬鉄道と日本の戦争責任』「泰緬鉄道のロームシャ問題」/村井吉敬
- ^ a b 歴史地理教育 (496)所収、高嶋伸欣「華僑虐殺、泰緬鉄道ロームシャの補償要求と未払い賃金問題」、1992年
- ^ 『岩波講座近代日本と植民地 5 (膨張する帝国の人流)』「東南アジアの「ロームシャ」 —泰緬鉄道で働いた人々—」/中原道子 pp.131-154
- ^ 江澤誠『「大東亜共栄圏」と幻のスマトラ鉄道』、165-169頁。
- ^ a b c d e f 倉沢愛子 2012, pp. 56–87.
- ^ a b 倉沢愛子 2012, p. 69.
- ^ a b 倉沢愛子 2012, p. 30.
- ^ a b 倉沢愛子 2012, p. 85.
- ^ 『現代インドネシアを知るための60章』、「何の補償も受けられなかった「ロームシャ」と「慰安婦」たち」/倉沢愛子
- ^ 生還者たち(ロームシャを追って 48年目の泰緬鉄道:下) 朝日新聞夕刊1991年5月2日16ページ(編集委員 松井やより)
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