ロナルド・レーガン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 15:37 UTC 版)
引退
1989年1月20日、レーガンは高い支持率を保ったまま、同じく共和党選出であるジョージ・H・W・ブッシュにその座を譲りホワイトハウスを後にした。2期8年の任期を全うしたのはドワイト・D・アイゼンハワー以来である。同年訪日して東京ドームでの1989年の日本シリーズ第3戦で始球式を行っている。
なおレーガンは冷戦終息に対する貢献により、イギリスのエリザベス2世女王から大英帝国勲章ナイト・グランド・クロス位 (GBE) を受けナイトの称号を許されたが、「アメリカ合衆国市民は外国から栄典を受けることはあっても名乗らない」の慣例に従い、その名前に「GBE」のポスト・ノミナル・レターズを付けることは一度も無かった。
アルツハイマー病
レーガンはホワイトハウスを去ってから4年後の1993年、アルツハイマー病と診断された。病は年を追う毎に進行し、人前に出ず、静かでプライベートな環境で余生を送らざるを得なくなった。妻のナンシーは自宅にホワイトハウスの執務室を再現し、レーガンはそこで新聞を読むなどの「執務」を毎日数時間行うことによって症状の進行を食い止めたという。1994年4月に死去したニクソンの葬儀に出席したが、これが公の場に姿を現した最後の日となった。同年11月5日、彼は国民にあてた手紙という形で、アルツハイマー病の病状を公表した。
レーガンの最後のメッセージとなった、『I now begin the journey that will lead me into the sunset of my life.(私は今、私の人生の黄昏に至る旅に出かけます)』という言葉は、多くの人々に深い感銘を与えた。
2001年に南カリフォルニアの自宅で転倒した際に腰を骨折してほとんど寝たきりとなってからは、健康状態はさらに不安定になった。
レーガンがアルツハイマー病を実際に発病した時期については諸説あり、在任中には既に患っていたとする説もある。次男のロンは2011年出版の回顧録の中で、1984年の前副大統領ウォルター・モンデールとの討論会において父のロナルドの異変に気がついたと指摘している。一方で大統領在任中の主治医や側近、またロナルド・レーガン大統領財団は在任中には病気の兆候は無かったとしている[20]。しかし、相手のモンデールもその時にロン同様に異変を感じたと述懐。またホワイトハウスのスタッフも、あるボヤ騒ぎの際に煙の充満する部屋の中で全く身動きを取ろうとしなかった姿を目撃し、それを「奇行」と捉えていた[21]。
空母「ロナルド・レーガン」
1998年2月6日、ワシントンD.C.のナショナル空港が「ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港」と改名された。さらにニミッツ級航空母艦の9番艦は2001年3月4日に「ロナルド・レーガン(USS Ronald Reagan, CVN-76)」と命名された。2003年7月12日の就役式典には闘病中のレーガン本人に代わり、ナンシー夫人が出席した。
注釈
- ^ 2017年1月20日に大統領に就任したドナルド・トランプはそれを越す70歳220日での選出である。2021年1月20日に大統領に就任したジョー・バイデンは、それを大きく上回る78歳61日での選出である。
- ^ 1994年に死去したリチャード・ニクソンは、アメリカの歴史上初となる辞任を行ったことや本人の意志などから国葬は行われなかった。また、前述の通りこのニクソンの葬儀がレーガンが公の場に姿を見せた最後の日となった。
- ^ 日本語においては「エイ[ei]」のような二重母音表記がしばしば「エー[eː]」と発音される現象(転呼)に倣って長音に置き換える表記が当時の外国語・外来語の音訳では主流であったが、「レーガン」はこれが現在まで定着している一例である。
- ^ ロサンゼルス・ドジャースは移転当初、メモリアル・コロシアムを野球場仕様にしてホームスタジアムとして使用していた。
- ^ ロナルド・レーガンとジェーン・ワイマンはかつて本当に夫婦だったことがあるが、この二人は1948年に離婚しており、若きドクが生きていた1955年の時点では、レーガンは(史実上でもファーストレディとなった)ナンシー・デイビスと再婚している。
出典
- ^ a b c d e f g h 『昭和55年 写真生活』p26-27(2017年、ダイアプレス)
- ^ レーガンの大統領前の伝記のスケッチとタイムライン、1911-1980
- ^ 「レーガン」中公新書
- ^ ロナルド・W・レーガンの邸宅
- ^ ジェーン・ワイマン
- ^ “1984 Presidential General Election Data – National”. 2021年5月7日閲覧。
- ^ Martha Ostergar (2022年4月16日). “Have You Seen This? Throwback to Reagan's perfect response to a balloon popping” (英語). www.ksl.com. 2023年3月14日閲覧。
- ^ “Israel Free Trade Agreement”. Office of the U.S. Trade Representative. 2019年4月2日閲覧。
- ^ “「米中貿易&ハイテク戦争」はどうなる? 「日米半導体摩擦」を振り返る”. 電子デバイス産業新聞 (2018年10月12日). 2019年5月13日閲覧。
- ^ “【米中貿易戦争】土壇場で中国が強硬に出た2つの理由——中国側は持久戦の構え”. ビジネスインサイダー (2019年5月15日). 2019年5月24日閲覧。
- ^ http://www.dailymail.co.uk/news/article-3045894/How-Ronald-Reagan-asked-Soviet-rival-Mikhail-Gorbachev-help-fighting-alien-invasion.html How Ronald Reagan asked Soviet rival Mikhail Gorbachev for help fighting alien invasion
- ^ [1]
- ^ Address to the 42d Session of the United Nations General Assembly in New York, New York
- ^ The United Nations Office of Geneva>The Convention on Certain Conventional Weapons>States parties and signatories>United States
- ^ 滝本道生『中米ゲリラ戦争』毎日新聞社 1988年 pp.194-195 より引用。
- ^ “バイデン大統領、ディナーは「八芳園」/歴代大統領初来日時のおもてなし一覧”. 日刊スポーツ (2022年5月23日). 2022年5月23日閲覧。
- ^ 望月明著『句文集 九計』52頁 2007年3月1日発行
- ^ 村田晃嗣『レーガン』中公新書 2011年 pp180。
- ^ トランプ氏の1日の時間割 BBC 2018年1月15日
- ^ “レーガン元大統領、在任時に認知症の兆候 息子が主張” (日本語). CNN.co.jp (CNN). (2011年1月18日) 2011年1月18日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 『使用人たちが見たホワイトハウス』ケイト・アンダーセン・ブラウワー著 光文社 2016年 p336
- ^ 【コラム】過ちがある指導者の銅像は建ててはならないのか 朝鮮日報
- ^ 朝日新聞論説委員室(編)『ザ・ニュース : 朝日新聞素粒子 1980』晶文社、1981年、50頁。NDLJP:12237618/27
- ^ "【ドジャース豆知識】レーガン元大統領の尽力でドジャースタジアム建設". サンケイスポーツ. 産経デジタル. 3 March 2024. 2024年3月3日閲覧。
- ^ Dr. Brown:Then tell me, "Future Boy", who's President in the United States in 1985?
Marty:Ronald Reagan.
Dr. Brown:Ronald Reagan? The actor? Then who's VICE-President? Jerry Lewis??
固有名詞の分類
- ロナルド・レーガンのページへのリンク