ロイヤル・バレエ学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/19 03:37 UTC 版)
歴史
第二次世界大戦前
1926年、アイルランド生まれでバレエ・リュスで活躍したダンサーでもあったニネット・ド・ヴァロアが女子向けのダンススクールとして Academy of Choreographic Art を設立し、これが今日のロイヤル・バレエ学校の前身となった。ド・ヴァロアの目標は、レパートリーバレエ団と学校を作ることであった。その結果、劇場オーナーでプロデューサーのリリアン・ベイリスと協力してゆくことになった。ベイリスはオールド・ヴィック・シアターを所有しており、それに加えて1925年にサドラーズ・ウェルズ劇場を手に入れた(ただし、サドラーズ・ウェルズ劇場は1915年に閉鎖されており、この時点では公演できる状態ではなかった)。
1928年、ベイリスはド・ヴァロアに両劇場でダンス・パフォーマンスの舞台を行うよう勧め、1931年にサドラーズ・ウェルズ劇場を再建し、そこにド・ヴァロワの学校を移動させ、男女共学のサドラーズ・ウェルズ・バレエ学校とした。同時に、同校の生徒と当時の著名なダンサーからなるヴィック・ウェルズ・バレエ団を創設した。学校もカンパニーも急成長し、オールド・ヴィック・シアターでのダンス上演の終了にともなってサドラーズ・ウェルズ・バレエ団に改称された。
第二次世界大戦後
サドラーズ・ウェルズ・バレエ団は1946年にコヴェント・ガーデンで改装・再建されたロイヤル・オペラ・ハウス付きのバレエ団として招聘され、1947年にはバレエ学校もバロンズ・コートに移転して、学位を得られる学術教育も導入された。このとき、引き続きサドラーズ・ウェルズ劇場に残って公演を行う姉妹バレエ団としてサドラーズ・ウェルズ劇場バレエ団が作られた。
バレエ学校は急速な発展を遂げ、1955年にロンドン郊外のリッチモンド公園にあるホワイト・ロッジの敷地に「ロウアー・スクール」を開設した。また、バロンズ・コートの校舎は「アッパー・スクール」となった。ロウアー・スクールは全寮制のボーディングスクールで、11歳から16歳の生徒に職業ダンサーになるためのバレエ教育と義務教育を提供している。アッパー・スクールは16歳から19歳の学生に全日制課程でバレエ教育を行っている。
1956年にはバレエ団とバレエ学校にロイヤルの名を冠する勅許が与えられ、バレエ団はロイヤル・バレエ団、バレエ学校はロイヤル・バレエ学校に改称された。サドラーズ・ウェルズ劇場バレエ団も、サドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団となった。ド・ヴァロアは1970年に芸術監督を退任した。
1990年にはサドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団がバーミンガム・ヒポドロームに移転してバーミンガム・ロイヤル・バレエ団に改称した。2002年にはバーミンガム・ロイヤル・バレエ団付属のバレエ学校としてエルムハースト・バレエ・スクールが開校した。
2003年1月にはアッパー・スクールがロイヤル・オペラ・ハウスにほど近いフローラル・ストリートに移転した。アッパー・スクールと、ロイヤル・オペラ・ハウスおよびロイヤル・オペラ・ハウス内にあるロイヤル・バレエ団のスタジオの間には Bridge of Aspiration と名付けられた渡り通路が設けられているが、この渡り通路のデザイナーは2004年の建築賞を受賞している[3]。
- ^ Taggart, Maggie (2007年2月6日). “Ballet star dances his way back home”. BBC News 2018年5月6日閲覧。
- ^ Thomas, Liz (2006年8月15日). “Royal Ballet to welcome in BBC cameras”. The Stage. オリジナルの2011年6月12日時点におけるアーカイブ。 2009年3月4日閲覧。
- ^ “The world-famous architect, the cancer victim and the dream that turned into a glittering prize”. The Independent. (2004年6月10日) 2018年5月6日閲覧。
- ^ a b “Sponsor our students”. 2021年4月11日閲覧。
- ^ “Fees 2020/21”. 2021年4月11日閲覧。
- ^ “Fees”. 2018年5月6日閲覧。
- ^ “Ballet Company”. Teatro alla Scala. 2010年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月10日閲覧。
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