ホレス・ウォルポール ホレス・ウォルポールの概要

ホレス・ウォルポール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 02:59 UTC 版)

ホレス・ウォルポール
古資料をもとに2008年から2年をかけて修復されたストロベリーヒル・ハウス[1]

経歴

イートン校ケンブリッジ大学で学び、1739年から2年間、詩人トマス・グレイとともにフランスイタリア遊学(グランドツアー)を行っている[2]下院議員(1741年 - 1768年)を務めた。

1791年、甥の第3代オーフォード伯ジョージ・ウォルポールの死により襲爵、第4代オーフォード伯となったが、彼にも子がなく、6年後の1797年に69歳で死去、オーフォード伯爵家は断絶した。ただし、もう1つの称号ウォルポール男爵位は従弟のホレーショ・ウォルポールが継承、1806年に新設の形でオーフォード伯爵位も受け継ぎ存続した。

中世趣味

今日、ウォルポールが知られているのは、その趣味的な生活ぶりによる。

別荘のストロベリー・ヒル・ハウスを改築して(工事は1750年頃から数十年にわたった)、自分好みの中世ゴシック風に仕立てた[3]が、これが大変な評判になり、毎日見学者が来るほどであった。1757年からそこに印刷所をもうけ、自作やグレイその他友人の作品を次々と印刷出版した。また、ある日見た夢をもとに中世の古城を舞台にした幻想的な小説『オトラント城奇譚英語版』(1764年)を書き、これも評判を呼んだ。ストローベリ・ヒルと『オトラント城奇譚』はイギリスにおけるゴシック趣味の流行に決定的な影響を与えたと評されている。

エピソード

  • ウォルポールがあみだした造語にセレンディピティがある。
  • 彼は愛猫家として有名で、愛猫セリマが金魚鉢で溺れて死んだ際は深く悲しんだという。またこのウォルポールの嘆きをもとに、詩人トーマス・グレイ(1716-1771)が、猫に捧げる詩を書いたことにより、この逸話は人口に膾炙することになったという。[4]
  • 吉田健一に、人物論「ホレス・ワルポオル」-『ヨオロッパの人間』(新潮社、新版・講談社文芸文庫)がある(吉田の父は外相・首相だった吉田茂)。

  1. ^ Introducing Strawberry Hill StrawberryHillHouse, 2011/02/10
  2. ^ 『「幽霊屋敷」の文化史』 2009, p. 67.
  3. ^ 五十嵐太郎『おかしな建築の歴史』(エクスナレッジ 2013年)p.216fなどもイギリス国会議事堂ハンガリー国会議事堂とともに「ゴシック・リヴァイヴァル建築」に分類している。
  4. ^ タムシン・ピッケラル『世界で一番美しい猫の図鑑』五十嵐友子 訳、エクスナレッジ、2014年。P85
  5. ^ 他にエドマンド・バーク『崇高と美の起源』大河内昌訳を収録。


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