ヒエロニムス・ボス ヒエロニムス・ボスの概要

ヒエロニムス・ボス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/10 07:18 UTC 版)

ヒエロニムス・ボス
Hieronymus Bosch
ヒエロニムス・ボスと推察されている肖像(1560年頃)
生誕Jeroen van Aken
1450年[注釈 1]
ブルゴーニュ領ネーデルラント スヘルトーヘンボス
死没1516年8月9日
国籍 オランダ
著名な実績絵画
代表作聖アントニウスの誘惑快楽の園最後の審判

生涯

ベルギー国境近くにあるス・ヘルトーヘンボス(デン・ボス)の画家一族のもとに生まれた。父アントニス・ファン・アーケン(Anthonis van Aken)[1]、祖父ヤン(Jan)[1]、兄のホーセン(Goossen)[1]および3人のおじたちが画家であった。母親は仕立て屋の娘だった[1]。ボスの修業時代についての明確な情報はないものの、父親の工房で製作技術を身に付けたとされている[2]1478年にボスに公式の「自由な画家」としての資格が与えられ[注釈 2]、同年にアレイト・ホヤールト・ファン・デ・メルヴェンヌ(Aleyt Goijaert van den Meervenne, Aleyt Goyaerts van den Meerveen)と結婚する[4]。メルヴェンヌは上流階級の富裕層の出身であり、それは持参金に土地が含まれるほどであった[4]

「ヒエロニムス」は本名のラテン語読みで、作品にはボス(Bosch)とサインをしている。画名の由来はス・ヘルトーヘンボス(デン・ボス)で生まれ、生涯のほとんどをここに住んでいたことにちなむ。

生前の史料に乏しく、生涯には不明な点が多いものの、父のもとで絵画の修行をしたと推察され、富裕な家の娘との結婚により街のキリスト教友愛団体である「聖母マリア兄弟会」に所属、名士としても活動しながら会の依頼で絵画の制作活動を行っていたと考えられている。

作品

『快楽の園』

ボスはヨーロッパ各地の王侯貴族たちからの依頼に応じ、多くの作品を制作した。特にスペインフェリペ2世はボスの絵画の熱烈な愛好者であり、マドリードに傑作の多くがある(現在10点がプラド美術館蔵)のもそのためである。しかし、ほとんどの作品が16世紀宗教改革運動での偶像破壊のあおりを受けて紛失し、現在はわずか30点ほどの作品が残されているのみである。また、一部の作品には後補や修正の跡も確認されている他、後世の模作もあり、真贋の判別が困難な物も多い。

聖書に基づく寓話を絵にした作品が多いが、同時期の他の初期フランドル派とは一線を画した、シュルレアリスムを思わせるような幻想的で怪異な作風が特徴であり、それぞれの主題や制作意図も謎に満ちている。その作風はピーテル・ブリューゲルを始めとする後世の画家に大きな影響を与えた。

『快楽の園』

現存する作品には普通の板絵のほか、三連祭壇画(3枚のパネルからなる祭壇画)の形式をもつものがいくつかある。この形式は当時のフランドル絵画では頻繁に行われた。有名な『快楽の園』も三連祭壇画である。この作品は、向かって左のパネルに、キリストの姿を取った神がアダムにイブを娶わせている「エデンの園」があり、右のパネルに「地獄」を描き、胴体が卵の殻になっている男性、人間を丸呑みにしては、すぐ排泄してしまう怪鳥、その他何とも名づけようのない奇怪なイメージで満たされている。中央の一番大きなパネルは『快楽の園』で、現世と考えられ、無数の裸の男女が様々な快楽に耽っている様が描かれているが、単なる群像ではなく、一種異様な雰囲気であり、背景にはやはり奇妙な、生物とも無生物ともつかない物体が配置されている。

この絵画の主題についてはさまざまな解釈がある。中央パネルが好色の罪を表し、その罪を犯した者が右パネルの地獄図で罰せられているとするのが、最も一般的な説であるが、ボスが『阿呆船』を題材とした、他の作品『狂人船』では教会勢力を痛烈に批判していることと併せ、この絵はアダム教或いはアダム主義(en)と言われる異端の描写であり、地獄図で拷問されているのは騎士、僧侶などアダム主義の密儀を否定する教会勢力とする説もある。

主要作


注釈

  1. ^ 1995年の時点では1453年である説が有力視されている[1]
  2. ^ 当時の画家は石工や大工と同様ツンフト12世紀前半に発生したドイツの手工業者のギルド組織[3])に属していた[4]。ツンフトでは見習い期間の設定や職人資格作品の制作による仕事や注文を受ける権利の獲得などの規約があり、職人たちを競争から保護していた[4]

出典

  1. ^ a b c d e ゲルツ 1995 p 15.
  2. ^ ゲルツ 1995 pp 15-16.
  3. ^ ツンフト”. コトバンク. 朝日新聞社、VOYAGE GROUP. 2017年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月22日閲覧。
  4. ^ a b c d ゲルツ 1995 p 16.


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