バロール
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民話
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トーリー島につたわる民話によれば[28]、バロルという地元の豪氏がおり[注 12]、海の向こうのドニゴール県の浜町のマク・キニーリー(正しくは キャン・マック・カンチャ[30]という名の転訛である[31][32][注 13][注 14]の持つ豊穣の牛を盗み出した。被害者は、バラルを倒さねば牛は奪還できないとの啓示を受けるが、バロルは孫に倒される運命と定められている。それを知るバラルは、「バラルの塔」と地元でいわれる岩山(自然石の形成物)に建てた塔に娘エフネを幽閉していた。それでもマク・キニーリーは娘と密通を果たし妊娠させる。バロルはマク・キニーリーを亡き者に処すが、その遺児がやがてバロルを殺す[35]。
この無名の遺児は、ルーに相当する。「トーリー島のバロル」および「邪眼のバロルと孫のルイ・ラヴァダ」と題する2編の異本では [注 15]、バロルをの遺児はルイ・ラヴァダ(長腕のルイ)と呼ばれており[36][37]、ルー伝承の名残として扱われる[38]。アイルランド語版「バロルとマク・キニーリー」でも [注 16][39]、遺児はルー・ファドラヴァッハ[注 17](「長腕のルー」の意[40])である。また違う類話「グロス・ガヴレン」では遺児はドルドナ(Dul Dauna)と呼ばれており[41]、これはイルダナハ「諸芸の達人」(長腕のルーのあだ名)の転訛と説明される[42][注 18]。
民話ではバロルを倒す武器は、鍛冶場の炉にあった赤熱した鉄棒だったり[28]、鍛冶師がガヴィディン(Gavidin)が赤熱させた槍だったり、鍛冶師ガイヴニン・ガウ(Gaivnin Gow)が鍛えた特別な赤い槍だったりする[37]。特に後者は、怪物が特別な方法でしか倒せない例として挙げられる(バロルは所定の場所にいるとき、この武器でないと倒せない)[38] 。
バロルの目
バロルは、単眼、双眼、三つ目なことも、それが毒性なことも発火性なこともあるとアイルランド伝承文学学者スコウクロフトはまとめている[47]。
眼の数と蓋
初出の民話ではバロルの眼の魔力の描写が装飾的で、額の真ん中に目ひとつ、そして後頭部には普段は蓋をした殺傷力ある眼を持っている。それは毒の色素と光線(beams)を放つバシリスクのごとき眼であり、相手を石化して殺すと語られている[28][注 19][注 20]。
「トーリー島のバロル」では、額の真ん中の危険な眼は9層の革盾で覆われていたが、長腕のルイが赤槍で貫通させた[注 21]。スコウクロフトは「額の真ん中の余分な目」(第3の目)の伝承があるとするが、その一例であろうか[47][注 22]。バロルが三つ目であると明言する例としては作家マクスウェルが発表した短編がある[50]。
だがある伝承によれば( メイヨー県))バロルは単眼にもかかわらず、7層の蓋がかぶせられていた。それは"有毒・烈火の目"で、"最初の蓋をとると蕨が枯れ始め、2枚目をとると芝草が赤銅色に変じ、3枚目で森林や木材が熱をもち、4で木々が発煙、5ですべては赤くなり、6で火花が散り、7ですべては発火して"里山は火の海となる [注 23][9]。
生首と湖の由来譚
『フィン歌集』中「フィンの盾」によれば、バロルの首はある樫の木の枝分かれに梟首され、毒気を含んだその木はやがてフィン・マックールの盾の木材とされたとされる[51]。
「トーリー島のバロル」の民話と、これと近似したアイルランド語の稿本でも、長腕のルイ(ルー)がバロルの生首を岩のうえに晒し、そこから毒の滴がしたたり湖ができたとされる。アイルランド語版は湖名(地名)を示さないが、カーティンが英語で所収した版では、語り手の地元のドニゴール県のグウィドー湖とされている[36][39]。
しかし、別の伝承(スライゴー県)によれば、バロルは、その魔眼とガラス(望遠鏡・遠眼鏡のたぐい、レンズ、あるいは片眼鏡か[52])を使って人を殺し、モイツゥラ(マグ・トゥレド)の原の植物を枯らしていたが、ある勇者が現れ、バロルをたぶらかしてその眼鏡をはずさせた隙に目を潰した、するとその血が溜り溜まって「眼の湖」を意味する'Lochan na Súil と呼ばれるようになった[注 24][53]。これはバリンドゥーン修道院跡の近くにあるナスール湖のことである[54]。
ゆかりの地
バロルの居城をトーリー島とする民間伝承は、フォウォレ族の中世文学から発祥しているという説明がある[9]。これはバロルが中世の頃からトーリー島の住人とされていた、という趣旨の発言ではない。中世文学にあるのは、フォウォレ族の長のコナンという人物が、コナンの塔を居城とし、それは「塔の島(Tor Inis)」という伝承であり、これは「トーリー島」であろうと比定されてはいるが、バロルのことなど何ひとつ書かれていない。だが、このことから、民間伝承ではフォウォレ族のバロルもトーリー島に住んでいたといわれるようになった[55]。
トーリー島には、「バロルの城」Dún Bhalair や「バロルの塔」Dún Bhalair と地元で呼ばれる地形があり[9]、高くそびえるような「巨塔」(Tór Mór)と呼ばれる地形も存在する[56]。
オドノヴァンがトーリー島で採取した民話の影響力が強く、バロル伝説のゆかりの地は"あたかもトーリーに独占権があるごとく"な一般認識があるが、それは誤っているとヘンリー・モリスの批判がある[29] 。
オドノヴァンとて、バロルの記憶はアイルランド各地の伝承に残るとしていた[4]。バロルと豊穣の牛の民話はトーリー島以外でも、特にアルスター南部に多く伝わっていた。モリスは1900年頃、モナハン県ファーニー郡からに断片的なものは採取できたとする。豊穣の牛グラス・ガヴレン(グラス・ガヴナン)の奇譚の設定舞台は、モナハン県南部や、果てはダブリン市沖のロックアビル島になっているものまであるという[29][注 25]。
注釈
- ^ 「打撃のバロル」はBalor Béimeann(民話『グラス・ガヴナン』)[4]、 Balar Bemen (オフラハティ『オギュギア』、17世紀)とも綴られている[5]。
- ^ オーホーガンの"Balor of the Evil Eye"を直訳すると邪眼。単語の nimh は「毒」のことであるが、転じて「敵意」や「悪意」、苦々しい妬みや恨みを意味する[8]。
- ^ 古アイルランド語で書かれた『マグ・トゥレドの戦い』
- ^ ラーミニーの採集話では Kian, son of Contje とあり、この正しい名に近いが、類話では名前が転訛しており「マッキニーリー」や「フィン・マッキニーリー」等と伝わる。
- ^ 無名、またはドルダナ等の、異名あり。
- ^ 軍記『マグ・トゥレドの戦い』や『アイルランド来寇の書』等。
- ^ Buar-ainech で「牛の顔をした」の意だとダルボア・ド・ジュバンヴィルは説明し(buar ビュール '牛' + ainech アネッヘ '顔' の複合語[16])、さらにはケルトの神ケルヌンノスに結びつけることが可能ととしている[15][17]。
- ^ 円形土砦(ラース)の造営者のリストは、Dubhaltach Mac Fhirbhisighが作成した1650年版もある[14]。
- ^ nem, neim[21]
- ^ 古アイルランド語: cloch as a tábaill。"taball"は投石器[23]。
- ^ なお、ユージン・オカリーは、バロールの眼の能力を得たいきさつについて自己が所有する写本に異聞が書かれているとしたが、紙数の都合で詳述できないとした[27]。
- ^ バロルがトーリー島に住み着いたとする民話例はアイルランド各地でも多いとされるが[9]、もっと南寄りの場所住んだとも伝わっている[29]。
- ^ アイルランド語: Cian mac Caínte。ラーミニー話集版でも、音写でコンチェの子キャン(Kian son of Contje)という名である[33]
- ^ オカリーに拠れば、このカンチャの正体は不明[34]。
- ^ いずれもカーティン編。
- ^ カーティン編「トーリー島のバロル」に近く、主人公が同じくフィン・マク・キニーリーである。
- ^ Lugh Fadlámhach
- ^ グレゴリー女史の再話では、複数の原典をもとに継ぎ目無く連綿とした物語として提供されているので[43]、民話原文の人物名であるマク・キニーリーやエフネや[44]遺児のドルダナ、そのつど古文書の名称であるキアンやエスリンに置換している[45]。井村君江の解説など多くの著書に同様の内容がみられる[46] 。
- ^ 原文:"eye.. and its beams and dyes of venom, like that of the Basilisk.. kept.. covered, except.. to [strike dead his] enemies by petrifying them"。オカリー教授は、このような農民 peasantry のあいだに膾炙したような話がオドノヴァンの刊行物によって広まった事態を憂慮していた[27] 。
- ^ この後頭部の第二の目は、ギリシア神話のキュクロープスとも比較されている[48]。
- ^ アイルランド語版「バロルとマク・キニーリー」でも7層の覆い(蓋。アイルランド語: bpilleadh; ドイツ語: filleadh[49])がかかっていて、長腕のルーが貫く[39]。
- ^ これが単眼だと普段は目隠し状態となってしまう。よってスコウクロフトのいう "extra eye in the middle of his forehead"の例とすれば、理に適う。ただスコウクロフトが、この民話例を念頭にしているのかは断言できかねる。また、次にあげるメイヨー県の例では単眼でも蓋で覆われていた。蓋が何枚かの革盾であれば、とても見えまいが、スライゴー県の伝承では、目にはガラス(レンズ等)が当てられてていた。
- ^ "He had a single eye in his forehead, a venomous fiery eye. There were always seven coverings over this eye. One by one Balar removed the coverings. With the first covering the bracken began to wither, with the second the grass became copper-coloured, with the third the woods and timber began to heat, with the fourth smoke came from the trees, with the fifth everything grew red, with the sixth it sparked. With the seventh, they were all set on fire, and the whole countryside was ablaze!"
- ^ または「バロルの眼(Suil Balra)」とも。
- ^ また、旧ブレフネ王国地方には、バロルの妻の名をとって「ケスリンの島」(現今のエニスキリン と町が名づけられたという俗説(17世紀の「クロンマクノイス年代記」に記述)がある[29][57]。かつては川中の城があっ[58]た。モリスはさらに Glengevlin という村名もバロルにまつわる魔法の牛に由来するとする[29]。
- ^ この神話や類似の神話は、年代わりの成長、死、再生の象徴であるとする。
出典
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