ドレッド・スコット対サンフォード事件 裁判

ドレッド・スコット対サンフォード事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/19 09:42 UTC 版)

裁判

ミズーリ州裁判所の経過

セントルイスの旧裁判所

第一審ではスコットが実質的に勝訴した。スコットは奴隷であることを裁判所に証明できなかった。判事は第二審を1847年12月に要求した。エマーソンは第二審をミズーリ州最高裁に抗告したが、裁判所は1848年6月に抗告を棄却した。第二審は1850年1月になってやっと開かれ、判決はスコットとその家族が法的に自由であるとした。エマーソンは再びミズーリ州最高裁に抗告した。

この時点でエマーソンはニューヨーク州にいる兄弟のジョン・F.A.サンフォードに公判の責任者を振り替えたので、サンフォードが引き継いだ。ミズーリ州最高裁は下級審の判決を覆し、スコットは奴隷であるとした。この判決は判例に添っていなかった。ミズーリ州裁判所は一貫して自由州に連れて行かれた奴隷は自動的に解放されるとしていた。ミズーリ州裁判長ハミルトン・ローワン・ギャンブルは奴隷を所有しており反対意見を書いた。

ミズーリ州の判決はセントルイス州立連邦裁判所で議論された[注釈 1]

ブキャナン次期大統領と判事の交信

1856年11月の大統領選挙投票後、就任式前の次期大統領ジェームズ・ブキャナンは友人の連邦最高裁判事ジョン・カトロン英語版に手紙を書いて、この裁判は3月の就任前に判決が出るかを尋ねた。ブキャナンは奴隷制の将来を政治的議論の外に置くような判決が出ることで、奴隷制問題に関する国中の不安を鎮める効果を期待していた。

ブキャナンは後に北部人のロバート・グリア英語版判事(ブキャナン、トーニー、グリアの三人はともにディッキンソン大学出身である)を説得して、判決が党派的論争の延長上にあるような印象を与えないよう多数派意見の側に加わるようにする裏工作に成功した。今日の常識から見ればこのような文書のやり取りは司法に対する不適切で一方的な接触と見なされる可能性が強い。19世紀の寛大な常識の下であっても司法の場にいる個人に対する政治的介入は不適当と見られたであろう。


注釈

  1. ^ この裁判所は現在旧裁判所と呼ばれており、ジェファーソン・ナショナル・エクスパンション・メモリアル(ゲートウェイ・アーチ)の一角にある。
  2. ^ それぞれ初代から5代までの合衆国連邦裁判所長官

出典

  1. ^ Vishneski, John. "What the Court Decided in Dred Scott v. Sandford". The American Journal of Legal History 32(4): 373-390. 事件名は「ドレッド・スコット対サンドフォード」となっているが、被告の姓は事実は「サンフォード」であり、裁判所書記が綴りを間違えたものの、その誤りを正すことは無かった。
  2. ^ Border Ruffian(s):直訳では「境界の悪漢」
  3. ^ "ドレッド・スコット事件". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2022年6月20日閲覧
  4. ^ Introduction to the court opinion on the Dredd Scott case, U.S. Department of State, http://usinfo.state.gov/usa/infousa/facts/democrac/21.htm 2007年11月22日閲覧。 
  5. ^ Remarks of the Chief Justice, Supreme Court of the United States, (March 21, 2003), http://www.supremecourtus.gov/publicinfo/speeches/sp_03-21-03.html 2007年11月22日閲覧。 
  6. ^ Court Blunders on Slavery and Abortion”. 2006年6月28日閲覧。
  7. ^ Dred Scott, Again”. 2006年6月28日閲覧。
  8. ^ Legal Abortion: Arguments Pro & Con, Westchester Coalition for Legal Abortion, http://www.choicematters.org/articles/procon.html 2007年10月24日閲覧。 
  9. ^ (pdf) David Barton - Propaganda Masquerading as History—GOP Operative’s Campaign to Reach African-Americans, People for the American Way, (September 2006), http://media.pfaw.org/PDF/RW/DavidBartonReport.pdf 2007年10月24日閲覧。 
  10. ^ PLANNED PARENTHOOD OF SOUTHEASTERN PA. v. CASEY, 505 U.S. 833 (1992) 505 U.S. 833.
  11. ^ washingtonpost.com: Second Presidential Debate -- President Bush and Sen. John Kerry”. 2006年6月28日閲覧。
  12. ^ Why Bush Opposes Dred Scott - It's code for Roe v. Wade”. 2006年6月28日閲覧。
  13. ^ Rees-Mogg, William (2007年3月8日). “Will Hamdan Be Another Dred Scott?”. The Daily Reckoning. 2007年4月15日閲覧。





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