ドラマツルギー (社会学) チーム

ドラマツルギー (社会学)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/08 22:53 UTC 版)

チーム

チーム (Teams) とは、相互に協力する個人のグループである(ただし、1人からなるチームもゴッフマンの専門用語では存在している)。チームメンバーは協力し、‘基本方針’を共有しなければならない。チームメンバーは情報を共有しなければならない。どのような誤りでもみんなで反省する。信頼は重要である。役割が平等である必要はない。チームメンバーは内部の知識も持っていて、互いのパフォーマンスによって騙されはしない[5]

舞台(局域)

舞台 (Stages) または局域 (regions) とは、異なる役割と情報を持った互いに異なる個人を見つけることができる、表、裏、および局域外の3つに区分されたエリアを言う。

表舞台

表舞台 (Front stage) とは、パフォーマンスをする場であり、パフォーマーとオーディエンスが存在する場である。一貫していることは、そして演者がそれを観察するオーディエンスに対し演じる状況または役割を説明する一般化した方法が含まれているのは、それがドラマツルギーのパフォーマンスの一部であるということだ。これは固定された演出である。その表舞台は、舞台装置 (Setting) と個人の外面 (Personal front) とを区別することを意味しているのだとゴッフマンは言う。これら2つの概念には、演者が成功したパフォーマンスを有することが必要である。舞台装置とは、演者がパフォーマンスするために提供されなければならない場面のことである(もしそれがなくなったならば、演者はパフォーマンスができない)。

個人の外面は、パフォーマンスするために必要とされるアイテムまたは知識から成る。これらのアイテムは通常はオーディエンスによってパフォーマンスと演者の一定の表現と確認できる。個人の外面は2つの異なる様相として、外見と態度に分けられる。

  • 外見 (Appearance) とは、演者の社会的地位の反映である個人的外面のアイテムを言う。
  • 態度 (Manner) とは、演者が自身で振る舞う仕方を言う。演者の態度は彼のパフォーマンスから何を予想すべきかをオーディエンスに示す[2]

裏舞台

裏舞台 (Back stage) とは、パフォーマーは存在しているが、オーディエンスはいない場である。そしてそこでは、パフォーマーがそのパフォーマンスを混乱させることへの怖れもなく役柄からはずれることが可能である。それは、表舞台では抑制されていた様々な事実や、あるいは様々な種類の非公式な行いが現れるかもしれない所である。裏舞台は表舞台とは完全に区別される。いかなるオーディエンスのメンバーも裏に現れることができない。演者はこれが保証されるために多くの方法を取る。オーディエンスのメンバーが裏舞台にいたら、パフォーマンスをすることは困難になる。

パフォーマーが裏 - 局域 (Back region) にいる時でも、彼らはそれにかかわらずまた別のパフォーマンス(チームに忠実なメンバーのパフォーマンス=裏 - 局域のパフォーマンス)の中にいる。裏 - 局域とは相対的な用語であり、それは特定のオーディエンスについてのみ存在しているのだ。つまり2人以上の人々が存在している所では、真実の裏 - 局域は、ほとんどありえないであろう。

局域外

局域外 (Outside) またはオフ・ステージは、個々人が、パフォーマンス(彼らがそれに気づいていないかもしれないけれども)に関係していない場所である。

境界

境界 (Borders) または境界線 (Boundaries) は、様々な領域の間で個人の動きを防止したり限定する時に重要なものになる。パフォーマーは、いつ・どのようにして・誰がそのパフォーマンスにアクセスをするかを支配して、境界を戦略的に動かすことができることを必要とする。ボーダー現象はヴィクター・ターナーリミナリティの概念によって強調され、それから想起されるフィールド(「儀式の記号論」)で敷衍された。

敷居の管理はいくつかの機軸において操作されるかもしれない。最も未熟なものは基本的なデジタルのオン - オフ(1 - 0)と同様な排除 - 包含である。

社会の中で、部分であるか否かが根本的に価値有る物と考えられるかもしれないが、またそれと同じぐらい大いに社会は地下茎の複合だとも見なされるのだ。単一のまたは樹状の完全体よりは、むしろそのような境界コントロールが言わば逆説的な方式で中心的な問題となる[注釈 2]

したがって、社会学、儀式、および劇場におけるリミナリティーの研究は、上流社会を支持している虚構の要素を再び覆い隠す。除外と分離の条件が、そのような(虚構の要素を再び覆い隠すもの)の本質的な機能であるような時に、通過儀礼はこれを反映するようである。社会からの除外の条件は、想定上の中心的支配の構成に必須と思われる(cf. → ミシェル・フーコー)。

さまざまな分裂的役割

多くのパフォーマンスは、オーディエンスが何がしかの情報(秘密)を得ることを防ぐ必要がある。そのために、いくつかの専門的な役割が作成される。

秘密

様々な理由のために秘匿する必要がある異なるタイプの秘密 (Secrets) が存在する。

  1. 暗い秘密 (Dark Secrets): チームがオーディエンスに示しているイメージを否定することができたパフォーマンス・チームについての情報を表している[5]
  2. 戦略的な秘密 (Free Secret): チームが聴衆をコントロールし、それをチームが要求する方向に導くことを可能にするチームのゴール、機能、およびノウハウを表している[5]
  3. 部内の秘密 (Inside Secrets): チームによって知られている情報を表していて、そのチームの結合を増大させるために他のチームメイトとだけ共有される何ものかであると考えられる[5]
  4. 信託された秘密 (Entrusted Secrets): 役割とチーム完全性を維持するために保持される必要がある(それらを守ることが信頼性を示すことになる)[5]
  5. 随意的な秘密 (Free Secret): 他者の秘密で自分に関係せず、まだ役割を維持している間に明らかにすることができるもの。そのような秘密の公開はパフォーマンスには当然に影響しない[5]

役割

ゴッフマンのスキームでは、誰がどんな情報にアクセスするかにそれぞれの中心を置いた、3つの基本的な役割 (Roles) が存在する。パフォーマーの大抵は博識である。オーディエンスは、パフォーマーが何を明らかにし、自分で何に気が付いたかということのみを知っている。局域外の者は、たとえどのような関連情報であっても、ほとんど持つことがない[5]。諸々の役割は以下の3グループに区分され、それぞれに含められる。

  • 操作すべき情報とチーム境界を扱っている役割:
  1. 「密告者」 (Informer): チームが信頼を得るチームメンバーの役割への詐称者は内密に許されるけれども、聴衆に参加し、パフォーマンスについての情報を明らかにする。例:スパイまたは反逆者[5]
  2. 「さくら」 (Shill): この役割は情報提供者の反対物である。さくらは、聴衆のメンバーであるふりをするけれども、機能チームのメンバーである。彼の役割は、聴衆反応を処理することである[5]
  3. 「秘密監査人」 (Spotter): 一般にパフォーマンスについての多くの情報を持っているオーディエンスのメンバー。秘密監査人はパフォーマーを分析し、オーディエンスに情報を明らかにすることができる。例: レストランの食物批評家[5]
  • 2つの他のチームの間で相互作用を容易にすることを扱っている役割:
  1. 「仲介者」または「調停者」 (Go-between or Mediator): 通常、様々なチームの間のコミュニケーションを容易にしている調停者兼メッセンジャー(あるいはその一方)として行動して、両者の許可によって行動する。仲介者は多くの秘密を知り覚え、中立的ではないかもしれない[5]
  • 「表 - 局域と裏 - 局域」を混ぜる役割:
  1. 「不在者」 (Non-person): パフォーマンスの間に居合わせている個々人は裏舞台さえも許容されることがあり得るけれども、それは“ショー”の一部にはならない。彼らの役割は通常明らかで、そうやって通常は、彼らはパフォーマーと聴衆によって無視される。例: ウエイター、掃除婦[5]
  2. 「サービス専門家」 (Service Specialist): 専門的なサービスが通常パフォーマーによって必要とされている個人。彼らは裏 - 局域にしばしばパフォーマーによって招待される。例: 税金知識を持つ調髪師、配管工、銀行家[5]
  3. 「同僚」 (Colleague): パフォーマーに類似しているけれども問題のチームのメンバーではない個人。例: 同僚[5]
  4. 「親友」 (Confidant): パフォーマーがパフォーマンスの詳細を明らかにする個人[5]

  1. ^ "Performance"と"Audience"については、それぞれ「演技」・「観客」の訳語もあるが、前掲文献の「あとがき」(312 - 313頁)での石黒毅の方針(例えば「パフォーマンス」について、「自然主義的視角からは、道具的側面と表出的側面をもつとされ両成素は分析的に分離されない」ことにより邦訳できないという)に準拠して特に和訳せず、「パフォーマンス」・「オーディエンス」とした。
  2. ^ 「社会の中の部分であるかないか」 (to be a part or not …… in a society) という問題関心は、社会が「地下茎の複合」 (a rhizomatic conglomerate) であるという見方と等値であるとし、むしろ境界コントロールにこそゴッフマンの中心的問題関心があるという意味である。
  1. ^ Mitchell, J. N. (1978). Social Exchange, Dramaturgy and Ethnomethodology: Toward a Paradigmatic Synthesis. New York: Elsevier.
  2. ^ a b George Ritzer (2007) Contemporary Sociological Theory and Its Classical Roots: The Basics. New York, New York. McGraw-Hill.
  3. ^ Adler, P.; Adler, P.; Fontana, Andrea (1987). “Everyday Life Sociology”. Ann Rev Sociol 13: 217–35. doi:10.1146/annurev.so.13.080187.001245. 
  4. ^ Goffman, E. (1974). Frame analysis: An essay on the organization of experience. Cambridge, MA: Harvard University
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z Goffman: The Presentation of Self in Everyday Life - an analysis Archived 2007年5月20日, at the Wayback Machine.. Last accessed on 25 February 2007.
  6. ^ (2001) Contemporary Sociological Theory New York, New York. Peter Lang Publishing Inc.
  7. ^ Welsh, J. (1990) Dramaturgical Analysis and Societal Critique Piscataway, New Jersey. Transaction Publishers.
  8. ^ Benford, S.; Hunt, S. (1992). “Dramaturgy and Social Movements: The Social Construction and Communication of Power”. Sociological Inquiry 2: 1. 





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