ドイツ帝国 経済

ドイツ帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/19 15:06 UTC 版)

経済

帝政ドイツの成立後、関税・通商・通貨・度量衡・郵便制度などの統一が進められた。銀貨鋳造は1872年に終わり、1873年に金本位制を立法した。翌年に銀が回収されはじめ、ロンドン市場で売られた。銀が世界で売られる中、ドイツ帝国銀行は生まれた。

帝政ドイツ成立直後の1871年から1873年までは、19世紀半ばからの経済成長に普仏戦争による50億フランの賠償金も加わり、会社設立のブームが起こった。しかし、1873年にウィーン証券取引所の大混乱などを受けて「大不況」に突入し、多くの新設会社が倒産した。一時の好況はあったものの1895年頃までは経済的停滞が続いた。19世紀末ころには石炭・鋼鉄・ガラスなどの業界でカルテルが結成され、企業の独占が進んだ。金融面でも独占が進み、その頭文字から「4D」と称されるドイツ銀行ディスコント・ゲゼルシャフトドレスデン銀行ダルムシュタット銀行が預金高の40%以上をおさえており、各産業カルテルとの結びつきを強めていった。なお、1889年の独亜銀行創立にはビスマルクの督促があったとされている。

1873年の混乱以降、ドイツ西部では石炭鉄鋼業のカルテルが複数形成された。1850年代をピークにオランダ資本を中心としてルール地方に注入されてきた外資は混乱を経て還流するようになった。1880-90年代に銀行とカルテルは結束した。カルテルの領域はルクセンブルクに及んだ[注釈 2]。東部ドイツのシレジアでは、フリードリヒ大王の頃から王立製鉄所が作られるなど国営の、1860年代にはそれらが払い下げられた貴族経営の、製鉄所があった。この頃すでに、東部ドイツに対する大銀行と技術革新の進出を阻む「鉄のカーテン」が存在した。もっとも、ディスコント・ゲゼルシャフトがビスマルク製鉄所に資金を出すなどの例があった。

電気工業において、まずはジーメンス・ウント・ハルスケの元であるジーメンス・ハルスケ商会が1847年にベルリンで発足した。これが1858年にロンドン支店を出して、イギリスの海底ケーブル敷設事業に進出している。1870年までには英国植民地とロシア・バルカン半島の陸上電信網の相当割合を施工していた。ジーメンスの技術革新は発電機である。これが、1880年代の照明器具と1890年以降の電気鉄道インフラにおける生産体制を支えた。1903年にAEG と合弁会社テレフンケンを設立した。

化学工業は帝政期の技術革新に甚だしいものがあったが、そうしたイノベーションも石炭鉄鋼資本に支えられてはじめて収益性を確保した。IG・ファルベンインドゥストリーの原型は化学的に石炭と結びつくタール工業カルテルであった。1916年にChemische Fabrik Griesheim-Elektron が参加する。グリースハイムは1890年に電解ソーダ法を発明した。日本では中野友禮が発明者として知られている。ただし、タール工業の発展こそが苛性ソーダの需要を生んだことに注意すべきである。もう一つの技術革新も似たような境遇にあった。石炭・鉄鉱石を掘れば岩も出る。ついでに岩塩を精製するけれども、1860年のアドルフ・フランクドイツ語版英語版による発明で副産物としてカリウムが得られるようになった。カリウムは従来草木灰からつくられていた。1876年からカルテルキャンペーンがスタートして、やがてカリウムシンジケートができた。ドイツ銀行はマクシミリアン・エゴン2世ドイツ語版英語版のフュルステンコンツェルンを通してドイツ・パレスチナ銀行を間接支配したが、ドイツ・パレスチナ銀行はシンジケートの金融業務において便宜をはかっていた。コンツェルンの持ち株会社は監査役ホーヘンローヘケンプナーら貴族と、ドイツ銀行のクレネを用いた[5]。爆発物のイノベーションは綿火薬無煙火薬ともに外国で始まったから、国内にアルフレッド・ノーベル系資本の独占支配を許した。ノーベル系企業持ち株会社その他にはディスコント・ゲゼルシャフトから監査役が派遣された[6]

統一当初、帝政ドイツは農業国としての性格が強かった。ザクセンからメリノ種羊毛の生産シェアをプロイセンが奪った名残であった。しかし20世紀初頭の世界政策でアメリカ資本が押し寄せ工業化し、かつて稼ぎ頭であった繊維業は再生産できなくなった。

産業部門別就業人口 [7]
産業部門 1882 1895 1907
農林漁業 41,6 35,0 28,4
鉱工業 34,8 38,5 42,2
商業・運輸 9,4 11,0 12,9
家事サーヴィス 5,0 4,3 3,3
公務・自由業 4,6 5,1 5,2
無職および年金・利子生活者 4,7 6,1 8,1

注釈

  1. ^ 海軍省は除く
  2. ^ 加えディスコント・ゲゼルシャフトが1873年の設立を主導したゲルゼンキルヒェン鉱業キルドルフ系)は、フランス=ベルギー企業のシャルル・デティリューCharles Détillieux よりアルマ炭鉱とラインエルベ炭鉱を事業基盤として購入した。このときルール炭田は権利関係が複雑で合理化を阻害していた。

出典

  1. ^ a b Daniel R. Headric The Invisible Weapon: Telecommunications and International Politics, 1851-1945, Oxford University Press, 1991, Chapter 8.
  2. ^ a b c d e Actuarial Society of America, Transactions, vol.23, Nos.67-68, W.N.Bagley and J.N.Laird, "Life Reinsurance", pp.27-28.
  3. ^ 数値について。The Economist, 1907/10/26, p.1839; 1907/11/2, p.1907, p.1886; 1907/11/9, p.1945; 1907/11/16, p.2001; 1907/11/23, p.2054; 1907/11/30, p.2106; 1907/12/7, p.2149; 1907/12/14, p.2215; 1907/12/21, p.2269; 1907/12/28, p.2318; 1908/1/4, p.35; The times, 1907/10/23-31; 1907/11; 1907/12; 1908/1/1.
  4. ^ Leopold Joseph, The Evolution of German Banking, London, Charles & Edwin Layton, 1913, chapter 3.
  5. ^ H. A. Giebel Die Finanzierung der Kaliindustrie, Volkswirtschaftliche Abhandlungen der badischen Hochschulen, Heft 4. 1912. pp.89-91.
  6. ^ Vgl. Riesser Die deutsche Grossbanken und ihre Konzentration im Zusammenhang mit der Entwicklung der Gesamtwirtschaft in Deutschland, 1912, p.663.
  7. ^ Gerd Hohorst, Jürgen Kocka, Gerhard A. Ritter: Sozialgeschichtliches Arbeitsbuch Bd. 2: Materialien zur Statistik des Kaiserreichs 1870–1914. München 1978, S. 66.






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