デッカー (護衛駆逐艦) デッカー (護衛駆逐艦)の概要

デッカー (護衛駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/15 22:20 UTC 版)

艦歴
発注:
起工: 1942年4月1日
進水: 1942年7月24日
竣工: 1943年5月3日
退役: 1945年8月28日
除籍: 1945年8月28日
その後: 中華民国へ譲渡、「太平」として就役後の1954年11月14日に中国人民解放軍の魚雷艇により撃沈
性能諸元
排水量: 1,140トン
全長: 289 ft 5 in
全幅: 35 ft 1 in
吃水: 8 ft 3 in
機関:
最大速: 19ノット
航続距離:
乗員: 士官15名、兵員183名
兵装: 3インチ砲3基、1.1インチ砲4基、20mm機銃9基

艦歴

デッカーは1942年4月1日ペンシルベニア州フィラデルフィア海軍工廠で起工。1942年7月24日に進水し、1943年3月4日に就役した。元々はBDE-47としてイギリスにレンドリースされる予定だった。

デッカーは1943年8月から1945年8月まで北米から地中海に至る航路で船団護衛の任務に就き、1944年5月のUGS-40船団(旗艦:巡視船キャンベル)の護衛任務ではドイツ空軍の爆撃機及びUボート(U967、U616)の攻撃から船団を護衛することに成功した。

第二次世界大戦終結直後の1945年8月28日に中華民国にエヴァーツ級護衛駆逐艦ワイフェルスとともに貸与(後に譲渡)、太平(DE-22)(タイピン)に改名。1946年に永興(旧アメリカ海軍PCE-842級警備艇)、中業及び中建(旧アメリカ海軍LST型揚陸艦)を率いて南沙諸島及び西沙諸島への進駐を行い、南沙諸島のイツアバ島は同艦にちなんで太平島と命名された。

1949年10月25日から27日の古寧頭戦役では金門島沖に駆けつけ、守備隊とともに侵攻してきた人民解放軍を殲滅する活躍を見せ、1951年2月13日には八重山諸島沖で海上封鎖任務中に中国大陸に向うノルウェー船籍の貨物船ホイ・フーを拿捕・拘束した。1954年4月初頭にチェコ船籍のユリウス・フチーク号が中国大陸が向うという情報を得て駆逐艦丹陽(旧日本海軍駆逐艦雪風)とともに拿捕のために出撃したが発見できず空振りに終わった[1]。 1954年4月27日に大康(旧ワイフェルス)とともに台湾海峡を航行中に人民解放海軍の広州(旧英キャッスル級コルベット・ボーマンヴィル)、開封(旧英フラワー級コルベット・クローバー)、南昌(旧日本海軍砲艦宇治)、長沙(旧日本海軍海防艦第118号)と遭遇し交戦した。

1954年11月14日午前1時半に大陳島沖において哨戒中に人民解放軍海軍の魚雷艇155号、156号、157号、158号の魚雷攻撃を受け撃沈された。艦首部に命中したので犠牲者は28名と少なかった。 撃沈後、中国青年反共救国団によって「建艦復仇運動」として代わりの艦艇の献納運動が行われ、日本製魚雷艇2隻を購入した[2]

脚注

注釈
脚注

  1. ^ Lin Hong-yi (2009). "Chapter 4,1953-1960" (PDF). Blockade on Chinese mainland coast - ROC's Guanbi policy, 1949-1960 (M.D. thesis) (中国語(台湾)). National Chengchi University.
  2. ^ 張以牧 (2011). 強人威權體制下的青年組訓:以中國青年反共救國團為中心的探討(1952-1959). https://books.google.co.jp/books?id=xlVamwEACAAJ&redir_esc=y&hl=ja 


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