チェコのアニメーション
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1960年代-1970年代
1940年代から1950年代にかけて活躍したチェコのアニメーション監督の多くは美術畑の出身ではなかったが、1960年代に入って 美術学校の出身者がアニメ政策に携わるようになる[2]。トルンカのスタジオで脚本を担当していたイジー・ブルデチカは、動画と切り紙によるアニメを制作し、後には評論も手がけるようになる。1958年にブルデチカが制作した『飛行の歴史』、1960年に制作した『水中の人間』では、銅版画の挿絵と版画が演出に用いられている。トルンカ以後の大人向けの人形アニメでは平坦な人形が使われていたが、ヤロスラフ・ボチェックは『ザ・ウィドウ・オブ・エフェサス』で緻密な人形の動きを表現し、人形アニメのチェコの名声を蘇らせた[15]。
トルンカの死後、彼を失ったアニメスタジオを閉鎖するべきではないかという意見が政府から上がる。こうした状況下で脚本家のカミール・ピクサはオストラヴァにアニメスタジオを開設、ズリーン映画スタジオの買収、西ドイツのテレビ局との共同プロデュース作品の製作といった精力的な活動を展開する[16]。ピクサは毎年短編映画の上映会を開催しており、その内のアニメーション部門は後に独立してチェスケー・ブジェヨヴィツェの映画祭であるアニマフィルムとなった。1975年にはピクサが所長を務めるクラートキー・フィルムとプラハ美術工芸大学の間に協定が結ばれ、クラートキー・フィルムは学生の卒業制作の場となった[16]。
1968年のプラハの春の後、政府はイデオロギー的な規律と適切な闘争性を含んだ反資本主義・反帝国主義を映像作品に求め、監督や芸術家と対立した[17]。1968年からトルンカのスタジオで製作が開始された『ファンタスティック・プラネット』の製作は長期にわたり、1973年に監督のルネ・ラルーの母国であるフランスで公開された。1968年8月のソビエト連邦によるチェコスロバキア侵入によって国内の民族意識は高揚し、作品に携わる唯一の外国人スタッフであるラルーの降板が持ち上がった[18]。ラルーは監督を続けたが、作品の内容がソ連による抑圧を想起させると政府から圧力がかかり、ラルーはフランスに帰国して作品を完成させる[18]。
1960年代半ばから1970年代にかけて、石でキャラクターを作るガリク・セコの『ストーン・アンド・ライフ』、色つき粘土を使ったヤン・ザラドニックの『ザ・ストロール』、時計にまつわる伝説を木彫りで表現したカミール・ピクサの『マイスター・アヌシュの話』が制作された。1960年代以降のチェコアニメは美術家による芸術性の高い作品が主流となるが、それらの作品の多くは一本の映画としてみた場合物語や構成に難があるアニメとしての面白さを欠くもので、一部の愛好家のみに評価されていた[2]。こうした状況の中でブジェチスラフ・ポヤルが製作した児童向けアニメ『ぼくらと遊ぼう!』『庭』は、動作の楽しさ・面白さにおいてひとつの結論を示した
1964年に『シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック』でデビューしたヤン・シュヴァンクマイエルのシュールレアリズムに基づいた斬新な物体アニメは強い衝撃を及ぼし、多くの追随者や模倣作が現れた[2]。独自の怪奇性と幻想性、時に人形を破壊的に扱うシュヴァンクマイエルの作風は伝統的な人形アニメーションのファンや作家から批判を受けることもあるが、実物アニメーションの表現の可能性を広げた点を高く評価されている[19]。しかし、チェコでは一般の人間がシュヴァンクマイエルの作品を視聴する機会が少なく、チェコ国内での彼の評価が高まるのは1989年のビロード革命による民主化以後になる[2]。
1980年代には、トルンカの影響を受けていないデザインの人形を使うイジー・バルタが注目を集めた[2]。1970年代から1980年代にかけての時期には、トルンカのスタジオで人形アニメで成功を収めた製作者の中から新生代のセルアニメの担い手が現れる[20]。1977年にイゴル・シェフチークが製作した『シエスタ』には最初期のアニメーションを想起させる、常に動き続ける人物と背景が自由に変化するトータルアニメーションという技法が用いられ、セルアニメに新たな可能性を提示した[20]。
- ^ 津堅『アニメーション学入門』、223頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 幸重「絵や人形が織り成す多彩な世界」『チェコとスロヴァキアを知るための56章』第2版、286-291頁
- ^ 伴野、望月『世界アニメーション映画史』、179-180頁
- ^ ヘルミーナ・ティールロヴァー | 武蔵野美術大学 美術館・図書館 イメージライブラリー所蔵 映像作品データベース. 2022年2月4日閲覧
- ^ 伴野、望月『世界アニメーション映画史』、180頁
- ^ 遠藤『チェコアニメの巨匠たち』、16頁
- ^ ウルヴェル『チェコ・アニメーションの世界』、18頁
- ^ 遠藤『チェコアニメの巨匠たち』、18頁
- ^ a b c d e f 遠藤『チェコアニメの巨匠たち』20頁
- ^ 遠藤『チェコアニメの巨匠たち』、47頁
- ^ ウルヴェル『チェコ・アニメーションの世界』、9-10頁
- ^ ウルヴェル『チェコ・アニメーションの世界』、31頁
- ^ ウルヴェル『チェコ・アニメーションの世界』、32頁
- ^ 津堅『アニメーション学入門』、68頁
- ^ 伴野、望月『世界アニメーション映画史』、201-202頁
- ^ a b ウルヴェル『チェコ・アニメーションの世界』、22頁
- ^ 遠藤『チェコアニメの巨匠たち』、46-47頁
- ^ a b キャヴァリア『世界アニメーション歴史事典』、222頁
- ^ 津堅『アニメーション学入門』、226頁
- ^ a b ウルヴェル『チェコ・アニメーションの世界』、39頁
- 1 チェコのアニメーションとは
- 2 チェコのアニメーションの概要
- 3 1960年代-1970年代
- 4 ビロード革命以降
- 5 関連項目
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