ステリオス・ギアンナコプーロス ステリオス・ギアンナコプーロスの概要

ステリオス・ギアンナコプーロス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 18:33 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ステリオス・ヤナコプロス
ギリシャ代表時代(2008年)
名前
本名 スティリアノス・ヤナコプロス
Stylianos Giannakopoulos
ラテン文字 Stelios GIANNAKOPOULOS
ギリシャ語 Στυλιανός Γιαννακόπουλος
基本情報
国籍 ギリシャ
生年月日 (1974-07-12) 1974年7月12日(46歳)
出身地 アテネ
身長 172cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF (OMF)
利き足 右足
ユース
1991 フォスティラス英語版
1991-1992 E・アステラス英語版
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1993 エスニコス・アステラス 32 (6)
1993-1996 パニリアコス英語版 84 (26)
1996-2003 オリンピアコス 190 (64)
2003-2008 ボルトン 137 (20)
2008-2009 ハル 2 (0)
2009-2010 AEL 19 (3)
1992-2010 通算 464 (119)
代表歴2
1997–2008 ギリシャ 77 (12)
監督歴
2012-2013 パニリアコス英語版
2016-2018 キフィシア英語版
1. 国内リーグ戦に限る。2017年2月28日現在。
2. 2008年7月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

クラブ

ギリシャのエスニコス・アステラスFCでデビューし、1996年に名門オリンピアコスFCに移籍。そこで毎年10ゴール前後を挙げた活躍が認められ、2003年にイングランドのボルトン・ワンダラーズFCに3年契約で移籍する[1]。ボルトンでは2005-2006シーズンにともにクラブ最多となる9ゴール6アシストを記録し活躍したが、翌シーズンは新戦力に押し出される形でベンチ要員となった。

2009年1月22日、ハル・シティAFCからAEL 1964へ移籍し母国に復帰した[2]

代表

ギリシャ代表ではEURO2004予選のスペイン戦で決勝ゴールを挙げたことで脚光を浴び、本戦でもカウンターの基点として同国の初優勝に貢献した(特に途中出場した準決勝のチェコ戦、決勝のポルトガル戦では活躍している)。

指導者

2016年2月からAEキフィシアFCの監督を務めたが、同年10月31日に解任された[3]

外部リンク




  1. ^ ボルトン、ヤナコプロスと新契約”. UEFA.com. UEFA (2005年8月26日). 2014年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月29日閲覧。
  2. ^ Stelios joins Larissa”. Sky Sports (2009年1月22日). 2017年2月28日閲覧。
  3. ^ Ο Στέλιος Γιαννακόπουλος απολύθηκε από την Κηφισιά”. sport.ert.gr (2016年10月31日). 2017年2月28日閲覧。


「ステリオス・ギアンナコプーロス」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ステリオス・ギアンナコプーロス」の関連用語

ステリオス・ギアンナコプーロスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ステリオス・ギアンナコプーロスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのステリオス・ギアンナコプーロス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS