スタリ・ラス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/18 15:55 UTC 版)
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2019年9月) ( |
ラスの建造は9世紀から10世紀の間だが、13世紀には人が住まなくなっていた。ラシュカ峡谷(the Raška gorge)沿いの当時のセルビア(Old Serbia)における地理的要衝にあり、アドリア海とゼタ公国(Zeta)を繋いでいただけでなく、西のボスニアと東のコソボを繋ぐものでもあった。
スタリ・ラスには、要塞、聖堂、修道院などの印象的な中世の建造物群がある。ソポチャニ修道院は西ヨーロッパ世界と東ローマ帝国の交流を想起させるものである。しかし、今日のスタリ・ラスは、町を覆っていた城壁もほとんど崩れ、野ざらしになった遺跡群としての姿を示している。すぐそばにはノヴィ・パザル(Novi Pazar)の町があるが、この町はおそらく、スタリ・ラスが廃れたあとに代わりになる居住地として発達し始めたものだったと考えられている。
しかし、スタリ・ラスの遺跡群の復元計画も存在しており、既にスタリ・ラスは近隣のソポチャニ修道院などとともにユネスコの世界遺産に登録され、保護されている。12世紀のスタリ・ラス修道院の修復も進められており、世界遺産への拡大登録も視野に入れられている。
スタリ・ラスは、同じくセルビアの世界遺産の一つであるストゥデニツァ修道院からもそれほど遠くないところにある。
関連項目
- 1 スタリ・ラスとは
- 2 スタリ・ラスの概要
- スタリ・ラスのページへのリンク