ジャイナ教
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ジャイナ商人
殺生を禁じられたジャイナ教徒の職業はカルナータカ州に例外的に知られているわずかな農民を除けばほとんどが商業関係の職業に従事しており[注釈 2]、なかでも豪商と名高いジャイナ商人(ジェイン)が知られる。ジャイナ教団体によると、インドにおける個人所得税の2割はジャイナ教信徒により納税されている。 その理由として、『嘘を禁忌として、約束は絶対に守る』『信徒は死後、生前の善行と悪行が帳簿の債権・債務のように集計され、来世の行方が決定づけられる』『事業の成功も泡沫のものである』と戒められ、また積極的な慈善行為、無所有主義など彼らが日頃から厳しい戒律を遵守していることから、清く正しい印象を客観づけられ、圧倒的な信用を集めているためと云われる。そのため、信用第一である宝石・貴金属商に従事する者が多い。ほかにも、インド商人ならではの高い語学力と計算能力からも、ビジネスマンとして重宝されている側面が在る[5]。
ジャイナ聖典およびジャイナ教文献
ジャイナ教の聖典はシッダーンタ(siddhānta)あるいはアーガマ(āgama)と呼ばれる。白衣派では、前3世紀ころパータリプトラで開かれた最初の聖典編纂会議で古聖典(14のプッバ (puvva)。聖典名は俗語形)に関する記憶が集められ12のアーンガ (āṅga)が編纂されたが、最終的に5世紀ころ西インドのバラビーにおける編纂会議でまとめられた。
白衣派聖典の言語は俗語アルダ・マーガディー語(半マガダ語)で、伝統的にはアールシャ(ārṣa、聖仙のことば)と呼ばれる。これに対し裸行派はいにしえの聖典はすべて散逸したとして俗語シャウラセーニー語(śaurasenī)で書かれた独自の文献を聖典とする。
サンスクリットで最初に書かれたのは、有名なウマースヴァーティ(umāsvāti)の教理綱要書(タットヴァールターディガマ・スートラ)である。裸行派の学匠クンダクンダ(kundakunda(4-5世紀))は自派の聖典用語で(ニヤマサーラ、niyamasāra)など哲学書を書いた。また、白衣派のハリバドラ・スーリ(haribhadra sūri(8世紀ごろ))はジャイナ教聖典に対して初めてサンスクリット語で注釈を書き、『六派哲学集成』等の哲学書の他、文学作品、ヨーガに関する書物など、多彩な作品を残した。 白衣派のヘーマチャンドラ(12世紀)は諸学に通じ、すぐれた文法学者・文筆家として多くの作品を残した。
俗語文学は10世紀前後にはアパブランシャ語作品が流行し、ダナパーラ(dhanapāla)の叙事詩(バビサッタカハー、bhavisattakahā)などのすぐれた作品を生んだが、その後もジャイナ教徒はサンスクリットとともに、その時代の地方語・俗語を文学作品に用いた。中世裸行派の中心となった南インドでは、タミル語やカンナダ語で多くの文学作品が作られた。
ジャイナ教寺院
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聖地アーブ山のデルワーラ寺院
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ハティーシング寺院 グジャラート州アフマダーバード
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アーディナータ寺院 ラジャスタン州ラーナクプル
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聖地シュラバナ・ベラゴラ山 ゴマテーシュワラ像
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聖地サンメッド・シカールジ
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サンメッド・シカールジ寺院
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聖地ギルナール山は山岳寺院都市を形成している
注釈
出典
- ^ “厳格な人は微生物や虫にも配慮する。不殺生貫く「ジャイナ教」フードが今注目される理由”. 南龍太 メディアジーン (2019年12月19日). 2023年6月18日閲覧。
- ^ 木村靖二、岸本美緒、小松久男『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2017年、56頁。ISBN 978-4-634-70034-5。
- ^ “ジャイナ教とは” (PDF). 国土交通省. 2023年7月1日閲覧。
- ^ 『南アジア史』(新版世界各国史7)p60 辛島昇編 山川出版社 2004年3月30日1版1刷発行
- ^ “Gemmy 149 号 「小売店様向け宝石の知識「宝石大国・インド4」」”. 早川武俊. 2023年6月28日閲覧。
- 1 ジャイナ教とは
- 2 ジャイナ教の概要
- 3 起源
- 4 食生活
- 5 ジャイナ商人
- 6 脚注
固有名詞の分類
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