シガー (競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 11:47 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動シガー | |
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2006年5月 ケンタッキー・ホース・パークにて | |
欧字表記 | Cigar |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1990年4月18日 |
死没 | 2014年10月8日(24歳没) |
父 | Palace Music |
母 | Soler Slew |
母の父 | Seattle Slew |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 | Allen E.Paulson |
馬主 | Allen E.Paulson |
調教師 |
Alex L.Hassinger Jr.(アメリカ) →William I.Mott(アメリカ) |
競走成績 | |
生涯成績 | 33戦19勝 |
獲得賞金 |
759万9015米ドル +882万288ディルハム |
経歴
シガーは1993年2月にダート6ハロンの未勝利戦でデビューした。デビュー戦は7着であったが、2戦目の未勝利戦で初勝利を挙げた。3戦目以降の11レースは芝のレースを走っていたが、下級戦でも惨敗を繰り返すなど結局11戦して1勝に終わった。だが、1994年の10月にひさびさのダートレースに出走すると8馬身差で勝利した。続いてNYRAマイルハンデキャップ(G1)に出走、このレースにはG1を5勝したデヴィルヒズデューも出走していたが、7馬身差で勝利した。
5歳になった1995年もG1戦線で勝利を続け、迎えたブリーダーズカップ・クラシックでもルキャリエールを相手に2馬身半差で優勝し、この年のエクリプス賞年度代表馬に選出された。
翌年ドンハンデキャップを連覇、ドバイワールドカップでもソウルオブザマターとの叩き合いを制し、連勝記録は14にまで伸びていた。次走マサチューセッツハンデキャップも勝利し、サイテーションの持つ20世紀のアメリカの連勝記録へ王手をかけたシガーに対し、サイテーションチャレンジという競走が企画された。このレースでも圧倒的な強さを見せ、半世紀ぶり、グレード制導入後では初となる16連勝を達成した。
次走のパシフィッククラシックステークスでDare and Go (デアアンドゴー)に敗れてついに連勝記録は止まってしまい、ブリーダーズカップ・クラシックでも3着に敗れ引退するが、生涯で稼ぎ出した賞金は米ドルに換算して999万9815ドルに達しており、これは2008年にカーリンに破られるまで北アメリカの最高獲得賞金記録であった。
引退後は種牡馬入りした。種牡馬入りの際は日本からも3000万ドルでの購入のオファーがあったとされるが[1]、結局はクールモアにて2500万ドル(当時のレートで約30億円)のシンジケートが組まれた。だが無精子症(精子の形状に異常があり、どの精子も全く動かなかったという[1])であることが判明し、治療もむなしくついに1頭の産駒も残さず種牡馬を引退した。その後は1999年からケンタッキー・ホース・パークで功労馬として余生を送る。2014年に首の変形性関節症で苦しむようになり、半年ほど治療を試みたがうまくいかずに症状が悪化し、手術を行ったものの術後に合併症を引き起こして10月8日に死んだ[2]。
競走成績
- 1993年(9戦2勝)
- 1994年(6戦2勝)
- NYRAマイルハンデキャップ
- 1995年(10戦10勝) - エクリプス賞年度代表馬、最優秀古馬牡馬
- ブリーダーズカップ・クラシック、ジョッキークラブゴールドカップ、ドンハンデキャップ、ガルフストリームパークハンデキャップ、オークローンハンデキャップ、ピムリコスペシャルハンデキャップ、ハリウッドゴールドカップハンデキャップ
- 1996年(8戦5勝) - エクリプス賞年度代表馬、最優秀古馬牡馬
- ドンハンデキャップ、ウッドワードステークス、ドバイワールドカップ
- 1 シガー (競走馬)とは
- 2 シガー (競走馬)の概要
- 3 評価
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