ザ・ティアーズ ザ・ティアーズの概要

ザ・ティアーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/08 20:52 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ザ・ティアーズ
左がアンダーソン、右がバトラー。2005年撮影。
基本情報
出身地 イギリス
ロンドン
ジャンル オルタナティヴ・ロック
活動期間 2004年2006年
レーベル インディペンディエンテ
共同作業者 スウェード
メンバー ブレット・アンダーソン
バーナード・バトラー
ウィル・フォスター
マコト・サカモト
ネイサン・フィッシャー

来歴

1994年にメンバー間の不和からスウェードを脱退したバーナードに対し、2003年にスウェードを活動休止にしたばかりのブレットが連絡を取って、二人は約10年ぶりに和解を果たす。2004年には6月にはレコーディングを開始し、同年9月に新しいバンド名を「ザ・ティアーズ」と命名。他のメンバーは、バーナードのソロ活動を支えてきた日本人ドラマーのマコト・サカモトキーボードにウィル・フォスター、ベースにはネイサン・フィッシャーが参加した。バーナードはアルバムのプロデュースも担当した。

2004年12月にロンドンバルセロナにて初めてのライヴを行う。ティアーズは、基本的にライヴではスウェードの曲は一切演奏しないことになっており、観客からスウェードのデビュー曲「ザ・ドラウナーズ」を演奏するようしつこく野次を飛ばされた際に、ブレットは「誰かドラウナーズを演奏してほしいって言ったか?だとしたら来るギグを間違えたんだな」と演奏するのを拒否している。しかし、数回「ステイ・トゥゲザー」のB面に入っていた「リヴィング・デッド」を演奏することがあった。

2005年4月にデビューシングル「リフュジーズ」は全英9位に入る上々の滑り出しを見せる。しかし同年6月に発表されたデビュー・アルバム『ヒア・カム・ザ・ティアーズ』は全英15位に入ったが、たった2週間でチャートから姿を消すなど商業的には失敗に終わった。7月に発表されたシングルカットされた「ラヴァーズ」は全英24位を記録したものの、次のシングルに予定されていた「オートグラフ」は結局発売中止になった。

2005年8月にはサマーソニック出演のため初来日を果たし、ソニックステージのトリ前に出演した。しかし同年秋にはバンドは所属レーベルから解雇されてしまい、予定されていたツアーは全て中止。そしてブレットのソロ活動を追求したいという意向により、2006年初頭に活動休止を発表している。

現状

バーナードは主にダフィーなどを手がける人気プロデューサーとして活動。ブレットはソロ活動を続けていたが、2010年にはスウェードとして再始動している。しかしこれにはバーナードは参加していない。
ブレットはティアーズ活動停止後のインタビューでは「スウェードやティアーズはまだ終わったわけではない」という趣旨の発言もしていたが、ティアーズに関しては将来的な活動予定はなく実質的には解散状態にある。

ディスコグラフィー

アルバム

  • ヒア・カム・ザ・ティアーズ(Here Come the Tears) - 全英15位

シングル

  • リフュジーズ(Refugees) - 全英9位
  • ラヴァーズ(Lovers) - 全英24位



「ザ・ティアーズ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ザ・ティアーズ」の関連用語

ザ・ティアーズのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ザ・ティアーズのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのザ・ティアーズ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS