コロンビアの歴史 ヌエバ・グラナダ共和国時代からコロンビア合衆国まで

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コロンビアの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/16 01:40 UTC 版)

ヌエバ・グラナダ共和国時代からコロンビア合衆国まで

首都ボゴタのカテドラル

分離独立後は政情が不安定な時期が長期に及んだが、文民統治の原則は維持され続けた。また、政党間の対立が小康状態になるも、両党ともに支持基盤を富裕層(保守党はローマ・カトリック教会および大地主、自由党は新興企業家)のため、農民などに対する圧政が続き、政党間の争いと複雑に絡み合い、経済的には安定した発展を遂げたが、政治的には依然不安定な社会情勢が続いた。

1832年、亡命先からサンタンデルが帰国しヌエバ・グラナダ共和国の大統領に就任した。この時代には保護貿易により産業が発展し、奴隷貿易が廃止され、公教育が拡充するなど連邦的な政治が進んだ。また、1840年代には後に主産業となるコーヒーが栽培され始めた。政治面ではこの時期に大コロンビア時代から続く中央集権派と連邦派が、保守党と自由党に組織し直された。1849年には商人や職人、新興ブルジョワジー、小農などの連邦派が自由党を結成し、同年これに対抗して貴族や大地主、教会などを支持基盤に保守党が結成された。これにより現在まで続く二大政党制が確立したが、両党は寡頭支配体制の維持という点で共通していた。

1849年から1853年まで大統領を務めた自由主義者のホセ・イラリオ・ロペスはイエズス会の追放、教会財産の没収、黒人奴隷制の廃止などの反教会、自由主義政策を採った。これ以降1880年までコロンビアでは自由主義政権が続くことになる。自由主義政権は自由貿易をも望み、1855年に「手工業共和国」と呼ばれたホセ・マリア・メロ将軍の政権が打倒されると、保護貿易は廃されて自由貿易が導入され、育っていた工業の基盤が壊滅した。これ以降他のラテンアメリカ諸国と同様にコロンビアでもイギリス資本による経済支配が進むことになる。

1857年には自由主義者マリアーノ・オスピナ・ロドリゲスが大統領になり、1858年にはロドリゲスの手によりグラナダ連合が発足した。しかしロドリゲスはイエズス会の帰国を認めて教会特権を復活させ、中央集権化を図るなど自由主義を掲げながらも保守化したため、1861年に自由主義者だったカウカ州知事のトマス・シプリアーノ・ド・モスケラが蜂起し、7月にはボゴタに入ってロドリゲスを追放した。こうしてモスケラが政権を握ると、1863年に成立したリオ・ネグロ憲法では自由主義的な内容が採択され、グラナダ連合は各州が外交権を持つ八州からなる連邦制国家、コロンビア合衆国となった。この自由主義の時代に首都ボゴタでは科学や文芸が発展を見せ、ボゴタは「南米のアテネ」と呼ばれるようになった

1880年に保守派のラファエル・ヌニェススペイン語版英語版が自由党右派と保守党に推されて大統領になると、ヌニェスはスペインに独立を承認させ、国立銀行を建設して経済の安定を図った。こうしてヌニェスの時代にククタ周辺でのコーヒー栽培の拡大によりコロンビアの主産業がコーヒー輸出となり、イギリス資本によって鉄道網も拡大していき、欧米に依存的な経済構造が確立した。1884年に再選されたヌニェスは連邦制を廃止しようとし、政治と教育にカトリック教会が参加することを認めたため、1885年には自由主義者が反乱を起こし、内戦が勃発した。ヌニェスがこの内戦に勝利すると、1886年にリオ・ネグロ憲法は放棄されて、カトリック教会と国家の同盟、中央政府の権限拡大、大統領の任期を六年に延長、中央集権主義などを盛りこんで教権の強い中央集権的な憲法改正がなされ、ここで現在まで続くコロンビア共和国が成立した。




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