コジモ3世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 03:22 UTC 版)
生涯
トスカーナ大公フェルディナンド2世とヴィットーリア・デッラ・ローヴェレの一人息子で、1661年にルイ14世の従姉妹のマルゲリータ・ルイーザと結婚した。
コジモはキリスト教の信仰のみに力を入れ、反ユダヤ的な政策や異端の取り締まりを強化したが、肝心な政治の方には興味を全く示さず、メディチ家の伝統でもある芸術・学問のパトロンとしての資質もなかった。また妻との間も不仲で3人の子をもうけたものの、放蕩な妻は結婚後13年でフランスへ帰ってしまい、また3人の子供達は皆跡継ぎが出来なかったため、近い将来の家門断絶が明らかになるという状態であった。
コジモはメディチ家の歴代当主の中でも最も長命な81歳で没し、彼の在位は53年もの長きにわたった。しかし、政治を顧みない彼の治世の間にメディチ家およびトスカーナ大公国の力はすっかり衰え、市民は困窮し、2度の飢饉さえ起きるほどであった。彼の死後、唯一残った次男ジャン・ガストーネが大公位を継いだ。
子女
名前 | 伊語名 | 生年月日 | 死去 | 備考 |
---|---|---|---|---|
フェルディナンド | Ferdinando | 1663年 | 1713年 | ヴィオランテ・ベアトリーチェ・ディ・バヴィエーラと結婚。梅毒により死去。 |
アンナ・マリーア・ルイーザ | Anna Maria Luisa | 1667年 | 1743年 | プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムと結婚。 |
ジャン・ガストーネ | Gian Gastone | 1671年 | 1737年 | 1723年に父の後を継いだ。 アンナ・マリーア・ディ・サッソニア=ラウレンブルグ(Anna Maria di Sassonia-Lauenburg)と結婚。 |
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