ゲイルズバーグ (イリノイ州) 地理

ゲイルズバーグ (イリノイ州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/21 02:20 UTC 版)

地理

ゲイルズバーグ市は北緯40度57分8秒 西経90度22分7秒 / 北緯40.95222度 西経90.36861度 / 40.95222; -90.36861 (40.952292, -90.368545)に位置している[1]アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は17.93平方マイル (46.4 km2)であり、このうち陸地17.75平方マイル (46.0 km2)、水域は0.18平方マイル (0.47 km2)で水域率は1.00%である[2]

歴史

ゲイルズバーグはニューヨーク州から来た長老派教会牧師ジョージ・ワシントン・ゲイルが設立した[3]。ゲイルは肉体労働のカレッジを設立する夢があった。それが後にノックス大学となった。ニューヨーク州から来た委員会が、1835年にノックス郡の土地17エーカー (0.069 km2) を購入し、最初の開拓者25人は1836年に入ってきた。現在のゲイルズバーグ市の直ぐ北、ストーリー湖近くのログシティに暫定の小屋を建設し、町の境界内には丸太小屋を作らないことに決めた。

市内にはイリノイ州で初の反奴隷制度団体ができた。1837年に設立され、地下鉄道 (秘密結社)の「停車駅」もあった[4]。1858年のリンカーン・ダグラス論争の5回目が市内で開催され、1858年10月7日、ノックス・カレッジの「オールド・メイン」ビルに、一時的な演説台が付けられた。ノックス・カレッジは今日までこの「オールド・メイン」を維持し、使い続けている。地下鉄道博物館とリンカーン・ダグラス論争博物館をノックス・カレッジ卒業生会館を改修したあとに設立する計画がある。

ゲイルズバーグはメアリー・アン・ビッカーダイクが生まれた場所である。ビッカーダイクは南北戦争の時に北軍兵士の手当をした。戦後、詩人、著作家で歴史家のカール・サンドバーグ、詩人で画家のドロテア・タニングメジャーリーグベースボールのスターであるジム・サンドバーグが生まれた。カール・サンドバーグが少年時代を過ごした家は、イリノイ歴史保存機関がカール・サンドバーグ歴史史跡として運営している。この場所にはサンドバーグが生まれたコテージ、現代博物館、サンドバーグと妻のリリアンが埋葬されている岩、および公演場がある。

BNSF鉄道の列車、ゲイルズバーグ市の中心にある元サンタフェ鉄道駅の近くを通過している
在りし日のサンタフェ駅

ゲイルズバーグはその歴史の大半を通じて鉄道との結びつきが強かった。地元事業家がイリノイ州の当時の2大都市であるシカゴクインシーとを結ぶ最初の鉄道を推進し、さらに3番目の路線としてアイオワ州バーリントンからミシシッピ川向こうで止まっていた路線があり、これと橋で結びつけることで西部フロンティアへの道が付けられた。シカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道が市内で操車場を操業し、初めてハンプ操車場を使った。この操車場は現在BNSF鉄道が使っている。

19世紀後半、アッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道がシカゴを中心に鉄道網を作り、ゲイルズバーグを通る路線もあった。ゲイルズバーグはその大きさの割りには鉄道が何本も通り、駅も幾つかあるという数少ない町の1つだった。実際にアムトラックがサンタフェ鉄道駅を閉鎖し、旅客は元バーリントン・ノーザン駅に統合したのは1996年になってからだった[5]。鉄道の吸収合併が進んでBNSF鉄道の下に統合され、1時間に平均7本の列車が運行されている。2004年秋にメイタグが工場を閉鎖した時点で、BNSFは再度ゲイルズバーグ市最大の雇用主になった。

さらに自動車の真鍮時代におけるパイオニア的会社ウェスタンが、町の名前を採った「ゲイル」を生産した[6]

ロンバード・カレッジは1930年まで市内にあった。

市内のカー邸宅は、1899年にアメリカ合衆国大統領ウィリアム・マッキンリーアメリカ合衆国国務長官ジョン・ヘイが閣議を開催した場所である。

交通

現在のゲイルズバーグ駅

全国的な旅客鉄道輸送会社であるアムトラックが、カリフォルニア・ゼファー号カール・サンドバーグ号英語版イリノイ・ゼファー号英語版サウスウェスト・チーフ号の各列車を毎日上下運行しており、ゲイルズバーグ駅で停車し、シカゴとゲイルズバーグより西の地点とを繋いでいる。シカゴからのこれらの路線はゲイルズバーグから各方面に分かれ、ゲイルズバーグはちょうどその分岐駅になっている。ゲイルズバーグ・トランジットが市内のバス便を運行している[7]。現在は4路線がある[8]BNSF鉄道が貨物鉄道を運行し、町の南1.9マイル (3 km) [9]に大型のハンプ操車場を運営している[10]

ゲイルズバーグ市内を州間高速道路74号線が通り、北はクァッドシティーズ地域のモリーン市、南東はピオリア市とを繋いでいる。イリノイ州道110号線、別名シカゴ・カンザスシティ・イクスプレスウェイはゲイルズバーグを通って、南のマコーム(西イリノイ大学がある)に向かい、クインシーを抜けた後にミズーリ川を渡る。アメリカ国道34号線はゲイルズバーグとアイオワ州バーリントンとを繋いでいる。

ゲイルズバーグ市民空港は一般用途空港であり、クァッドシティ国際空港とジェネラル・ウェイン・A・ダウニング・ピオリア国際空港から商業便を利用できる。


  1. ^ US Gazetteer files: 2010, 2000, and 1990, United States Census Bureau, (2011-02-12), http://www.census.gov/geo/www/gazetteer/gazette.html 2011年4月23日閲覧。 
  2. ^ 2010 Census U.S. Gazetteer Files for Places – Illinois”. United States Census. 2012年5月3日閲覧。
  3. ^ Gannett, Henry (1905). The Origin of Certain Place Names in the United States. Govt. Print. Off.. pp. 133. https://books.google.co.jp/books?id=9V1IAAAAMAAJ&pg=PA133&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false 
  4. ^ Underground Freedom Railroad Station
  5. ^ Rex Cherrington (1996年6月20日). “Did Galesburg businessmen really need to pay to bring the Santa Fe Railway to Town?”. The Zephyr. http://www.thezephyr.com/archives/santafe.htm 2011年2月16日閲覧。 
  6. ^ Clymer, Floyd. Treasury of Early American Automobiles, 1877-1925 (New York: Bonanza Books, 1950), p.51.
  7. ^ Galesburg Transit
  8. ^ [1]
  9. ^ Map”. Google Maps. 2010年10月23日閲覧。
  10. ^ Trains Magazine (2006年7月8日). “North America's Hump Yards”. 2010年10月23日閲覧。
  11. ^ a b Schedule for 2010
  12. ^ Official Website
  13. ^ [2]
  14. ^ [3]
  15. ^ Black Earth Film Festival
  16. ^ [4]
  17. ^ [5]
  18. ^ "Knox Baseball Trounces Actors"
  19. ^ Wikisource
  20. ^ Daniel, W. Harrison (January 2004). Jimmie Foxx. McFarland. p. 206. ISBN 9780786418671 
  21. ^ Silas Willard main page
  22. ^ Hoots, Joshua. “The Winning Team”. Motion Picture. 2012年10月4日閲覧。
  23. ^ The New Zephyr





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