オリックス・バファローズの応援団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 13:46 UTC 版)
かつて存在した団体
- 阪急→オリックス系
- 八二会(やじかい) - 結成時期については「1966年」[4]、「1967年」[5]と複数の説がある。応援団長の今坂喜好はスタジアムのファンも選手も楽しませる野次で「名物団長」と呼ばれた。八二会は今坂の記憶では「23人前後」のメンバーがおり、試合には15人程度が来ていたという[6]。メンバーには交代もあり、全員が一貫してはいなかった[6]。ブレーブスのオリックスへの売却に伴い「八二会」は活動を取りやめ(会としては存続)、一部メンバーがオリックス・ブレーブス応援団に流れた[7]。その後オリックスが球団名を「オリックス・ブルーウェーブ」に改称すると「八二会」は正式に解散した[7]。
- 勇者会 - 主に団員は八二会より若い層が多かった。オリックス売却後も内野で活動していたが、1990年頃解散。内野応援団自体は1997年頃まであった。1990年頃は外野席で活動する稲妻一家と軋轢があったとされる。
- 稲妻一家 - オリックス・ブレーブス発足時に活動開始。南海ホークスの元ファンが中心だった。神戸移転後、神戸連波隊となる。
- 神戸連波隊 - 1991年の神戸移転時から活動していた。名古屋と福岡に支部があった。2001年頃解散。末期は神戸青潮舎と改称。
- 神戸青波連 - 1991年頃から活動開始。2004年の合併時まで活動していた。外野スタンドでは球団旗や谷佳知の背番号10が描かれた旗を降っていた。現在、団員は「神戸蒼誠会」として活動している。
- 福岡連波隊 - 1991年頃から活動していた。後に九州雷青会に改称。
- 九州雷青会 - 福岡ドームなどで活動していたが、オリックスと近鉄の合併時の2004年に解散。黒地に白字で雷青会と書かれた応援旗を使用。
- 関西雨天中止 - 女性応援団。関西雨天中止と記載された青い応援旗を使用。1996年に解散したが一部団員は「天体観測」を発足させた。ブルーウェーブ復刻試合では、関西雨天中止の応援旗も使用された。
- 名古屋連波隊 - 末期は中京波浪会に改称していた。
- 近鉄系
- 高井田応援団 - 1965年頃に発足、近鉄バファローズの最古の私設応援団。
- 近鉄バファローズ東京応援団 - 1975年頃に発足、ホームユニフォームと三色帽、白いロングパンツのスタイルで応援していた。1995年まで活動し、関東大村会に生まれ変わる。
- 関西優牛会 - 1987年から1991年まで活動。名古屋と博多に支部があった。
- 関東あばれ牛会 - 1989年限りの活動。近鉄バファローズ東京応援団から派生し、主に外野席で活動していた。
- 松原猛牛会 - 藤井寺球場や日生球場の一塁側内野スタンドを中心に活動していた。その後は外野ライトスタンドで活動。大阪ドーム移転後の赤いビジターユニフォームに猛牛マークと「OSAKA MATSUBARA」「猛牛会」の名前がある。
- 関東大村会 - 1996年頃から活動を開始した。後に大阪私設應援團に吸収された。
- ^ a b c d e エンタテイメント | オリックス・バファローズ[リンク切れ]
- ^ オリックスバファローズ選手別応援歌2009~2010 「真紅と蒼の響vol.1」 - HMV ONLINE
- ^ https://www.youtube.com/@ODRB_official
- ^ 読売新聞阪神支局『阪急ブレーブス 勇者たちの記憶』中央公論新社、2019年、p.106
- ^ 福本豊『阪急ブレーブス 光を超えた影法師』ベースボール・マガジン社〈追憶の球団〉、2014年、pp.153-154
- ^ a b 吉岡悠 『野球難民』長崎出版、2005年、p.171
- ^ a b 吉岡悠 『野球難民』長崎出版、2005年、pp.181 - 182
- オリックス・バファローズの応援団のページへのリンク