ウェスタン・エレクトリック 管理手法の発明

ウェスタン・エレクトリック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/06 14:20 UTC 版)

管理手法の発明

終焉

1984年1月1日、ウェスタン・エレクトリックはAT&Tテクノロジーとなり、顧客分野ごとにさらに分割された(AT&Tテクノロジーシステム、AT&Tネットワークシステムなど)。分割後も電話機の製造は続けられ、ベルのロゴはなくなったが内部の集積回路などには「WE」のイニシャルがそのまま付けられていた。電子交換機その他の地域ベル電話会社向けの機器は1990年代になっても「AT&T Western Electric」と表示していた。

電話機はコスト削減のため1985年にデザインが更新され、それまで金属を多用していた電話機でもプラスチックを多用するようになった。1986年、インディアナポリス事業場の電話機工場が閉鎖され、AT&Tの単線電話機製造はアメリカ国内では行われなくなった。ビジネス用電話機システムは2001年までシュリーブポート事業場で製造されていた。家庭用電話機は香港シンガポール中国バンコクなどで製造されるようになった。ウェスタン・エレクトリック製の電話機には「WE」の刻印は付かなくなったが、電話線のプラグには「WE」と刻印し続けた。

1995年、AT&TはAT&Tテクノロジーをルーセント・テクノロジーに改称し、スピンオフに備えた。この時点でウェスタン・エレクトリックは終焉を迎えた。電話線のプラグの刻印も「HHE」に変わった。1996年にはルーセントが独立し、残った資産はアドバンスト・アメリカン・テレフォンズ (Advanced American Telephones)、アジェレ・システムズ (Agere Systems)、アバイア、コンシューマ・フォン・サービシーズ (Consumer Phone Services) に売却された。ルーセント自体もアルカテルと合併してアルカテル・ルーセントとなった。

遺産

ウェスタン・エレクトリックの消滅に伴い、電話機や関連機器の製造は様々な業者が行うようになった。この競争状態の結果、電話機の製造は主にアジアで行われるようになり、安価な部品が使われるようになった。

人によっては、AT&Tが分割された後も電話機を全く購入せず、ウェスタン・エレクトリック製の電話機を依然としてリースし続けていることもある。その場合、電話機の購入価格の10倍以上のリース料金を通算で支払っていることになるが、ウェスタン・エレクトリック製の電話機は耐久性と音質の面で最近の電話機よりも優れていると言われている。現在では、ウェスタン・エレクトリックの電話機は、コレクションの対象にもなっている。

映画館向けにウェスタン・エレクトリックが1920年代から30年代にかけて設計・製造した音響機器は、耐久性と音質のよさからオーディオマニアなどのコレクション対象となっている。これには、大規模映画館用の巨大なスピーカーもあり、比較的低出力の真空管アンプで駆動される。


  1. ^ 原語の英語では「BELL SYSTEM PROPERTY — NOT FOR SALE」。


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