ウィリアム・ハーバート (第3代ペンブルック伯爵) ウィリアム・ハーバート (第3代ペンブルック伯爵)の概要

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ウィリアム・ハーバート (第3代ペンブルック伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/14 00:37 UTC 版)

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ウィリアム・ハーバート
William Herbert
第3代ペンブルック伯
第3代ペンブルック伯の肖像画(ダニエル・マイテンス画、1625年)

出生 (1580-04-08) 1580年4月8日
死去 (1630-04-10) 1630年4月10日(50歳没)
配偶者 メアリー・タルボット
父親 第2代ペンブルック伯ヘンリー・ハーバート英語版
母親 メアリー・シドニー英語版
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経歴

第3代ペンブルック伯の肖像画(ダニエル・マイテンス画)

1580年4月8日に第2代ペンブルック伯爵ヘンリー・ハーバート英語版とその妻でヘンリー・シドニー英語版の娘メアリー・シドニー英語版の間の長男として生まれる。母方の伯父にフィリップ・シドニー、弟に第4代ペンブルック伯爵となるフィリップ・ハーバートがいる[1]

1601年の父の死で爵位とウィルトシャーの領地を相続したが[2]、愛人メアリー・フィットン英語版が庶子を死産したことがエリザベス1世の怒りに触れ、ペンブルック伯は投獄された上大陸へ追放、女王が死ぬまで許されなかった[3]

ジェームズ1世に代替わりすると一転して厚遇されスズ鉱山裁判所長官英語版コーンウォール知事英語版(在職:1604年 - 1630年)、宮内長官英語版(在職:1615年 - 1625年)、軍務伯委員会委員(在職:1616年 - 1621年)、サマセット知事英語版ウィルトシャー知事英語版(在職:1621年 - 1630年)、王室家政長官英語版(在職:1626年 - 1630年)等の官職を歴任した[4]。1616年から1630年にかけてはオックスフォード大学学長英語版を務めた[4]1618年から1630年にかけてフリーメイソンのグランドマスターを務めた[4]

庭園造営の趣味があり、ウィルトシャー・ソールズベリーウィルトン・ハウス英語版イニゴー・ジョーンズの弟子アイザック・ド・コーズ英語版が庭園を造営、詩人ジョン・テイラー英語版が訪れて称賛した庭園は後の世代に引き継がれた。また学芸庇護者として名高くベン・ジョンソンらを庇護、ジョン・オーブリーから当代随一の学芸庇護者と絶賛された。ジェームズ1世からも気に入られ、国王は1620年1623年にウィルトンを行幸している[5]

1623年、ウィリアム・シェイクスピアの作品集『ファースト・フォリオ』を編集したジョン・ヘミングスとヘンリー・コンデルから献呈され、弟フィリップ共々「世に並ぶものなき兄弟」と称えられた。一方、『ソネット集』で言及される「W・H氏」に擬せられ、愛人メアリー・フィットンも同じソネット集に登場する黒い肌の女性ではないかとされている[3][6]

ステュアート朝初期の宮廷において国王秘書長官英語版ラルフ・ウィンウッド英語版とともに強硬なプロテスタントとして知られ、カトリックの初代サフォーク伯トマス・ハワードらと鋭く対立した。特にサフォーク伯らが親スペイン政策を唱えることに警戒感を持っていた。その対抗としてジョージ・ヴィリアーズ(後の初代バッキンガム公)を国王側近として出世させ、サフォーク伯らカトリックを国王から遠ざけさせた[7]

1630年4月10日に死去。子が無かったため爵位は弟のフィリップが継承した[4][6]

栄典

爵位

1601年1月19日に父の死により以下の爵位を継承した[4]

(1551年10月11日創設イングランド貴族爵位)
  • グラモーガン州におけるカーディフのカーディフの第3代ハーバート男爵 (3rd Baron Herbert of Cardiff, of Cardiff in the County of Glamorgan)
(1551年10月10日創設イングランド貴族爵位)

勲章


  1. ^ Lundy, Darryl. “Henry Herbert, 2nd Earl of Pembroke” (英語). thepeerage.com. 2015年9月29日閲覧。
  2. ^ a b ロイ・ストロング 2003, p. 246.
  3. ^ a b 高橋康也他編 2000, p. 659.
  4. ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Pembroke, Earl of (E, 1551)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年9月29日閲覧。
  5. ^ ロイ・ストロング 2003, p. 17/245-246.
  6. ^ a b ロイ・ストロング 2003, p. 292.
  7. ^ 今井宏編 1990, p. 159/163.
  8. ^ Lundy, Darryl. “William Herbert, 3rd Earl of Pembroke” (英語). thepeerage.com. 2015年9月29日閲覧。


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