イーメイ・ウドカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/24 14:27 UTC 版)
ボストン・セルティックスコーチ時代のウドカ (2022年) | |||||||||||||||
ヒューストン・ロケッツ HC | |||||||||||||||
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役職 | ヘッドコーチ | ||||||||||||||
所属リーグ | NBA | ||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||
国籍 |
ナイジェリア アメリカ合衆国 | ||||||||||||||
生年月日 | 1977年8月9日(45歳) | ||||||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 オレゴン州ポートランド | ||||||||||||||
身長(現役時) | 196cm (6 ft 5 in) | ||||||||||||||
体重(現役時) | 100kg (220 lb) | ||||||||||||||
キャリア情報 | |||||||||||||||
高校 | ジェファーソン高等学校 | ||||||||||||||
大学 |
ユタ州立大学イースタン校 サンフランシスコ大学 ポートランド州立大学 | ||||||||||||||
NBAドラフト | 2000年 / ドラフト外 | ||||||||||||||
プロ選手期間 | 2000年–2012年 | ||||||||||||||
ポジション | SF | ||||||||||||||
背番号歴 | 5, 8, 3 | ||||||||||||||
指導者期間 | 2012年–現在 | ||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||
選手時代: | |||||||||||||||
2000–2001 | ファーゴ=ムーアヘッド・ビーズ | ||||||||||||||
2001 | インディペンデンテ | ||||||||||||||
2002–2003 | ノースチャールストン・ロウゲーターズ | ||||||||||||||
2003 | アディロンダック・ワイルドキャッツ | ||||||||||||||
2003–2004 | チャールストン・ロウゲーターズ | ||||||||||||||
2004 | ロサンゼルス・レイカーズ | ||||||||||||||
2004 | チャールストン・ロウゲーターズ | ||||||||||||||
2004 | CBグラン・カナリア | ||||||||||||||
2005 | JAビッチー | ||||||||||||||
2005–2006 | フォートワース・フライヤーズ | ||||||||||||||
2006 | ニューヨーク・ニックス | ||||||||||||||
2006–2007 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | ||||||||||||||
2007–2009 | サンアントニオ・スパーズ | ||||||||||||||
2009–2010 | サクラメント・キングス | ||||||||||||||
2010–2011 | サンアントニオ・スパーズ | ||||||||||||||
2012 | UCAMムルシアCB | ||||||||||||||
コーチ時代: | |||||||||||||||
2012–2019 | サンアントニオ・スパーズ (AC) | ||||||||||||||
2019–2020 | フィラデルフィア・76ers (AC) | ||||||||||||||
2020–2021 | ブルックリン・ネッツ (AC) | ||||||||||||||
2021–2023 | ボストン・セルティックス | ||||||||||||||
2023– | ヒューストン・ロケッツ | ||||||||||||||
受賞歴 | |||||||||||||||
選手時代
コーチ時代
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Stats Basketball-Reference.com | |||||||||||||||
代表歴 | |||||||||||||||
キャップ | ナイジェリア | ||||||||||||||
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経歴
ポートランド州立大学を卒業後、ウドカのキャリアはNBAデベロップメント・リーグのチャールストン・ロウガトーズ(現:フロリダ・フレイム)で始まった。
2004年1月14日、ロサンゼルス・レイカーズと契約したがすぐに放出された。再びDリーグに戻ったウドカはフォートワース・フライヤーズでプレイし、試合平均17.1得点6.2リバウンドの成績を残した。
2006年4月6日、ニューヨーク・ニックスと契約したが、同年9月11日には放出された。
ウドカは地元ポートランドに戻り、新たな契約を得るために自主練習を行っていた。場所柄、ポートランド・トレイルブレイザーズの選手たちと練習を共にしていたが、10月に入って各チームのキャンプが始まっても契約が得られない状態が続いていた。折しも、ブレイザーズのアーロン・マイルズが健康診断に引っかかり、チームのロスター枠が1つ空いたところでブレイザーズの選手たちがウドカをキャンプに呼ぶように進言した。キャンプ中に父の死などの不幸に見舞われたが、ウドカはコーチ陣を唸らせる活躍を見せ、見事に開幕ロスターに残った。更には開幕戦から先発スモールフォワードの座をも勝ち取り、結局その年は75試合に全て先発で出場、平均出場時間28.6分で8.4得点、3.7リバウンド、0.9スティールの成績を残した。このシーズンに、NBA入りしたラマーカス・オルドリッジと共にプレーした経験が、後にFAとなったオルドリッジをサンアントニオ・スパーズに呼び込む大きな力となった[1][2]。
2007年8月16日、サンアントニオ・スパーズと契約。推定2年200万ドルの契約であると見られている。スパーズではブルース・ボーエンの控えとしてプレイした。その後、サクラメント・キングス、ニュージャージ-・ネッツ、スペインリーグでプレーした後、2012年8月、サンアントニオ・スパーズに、アシスタントコーチとして加入した[3]。
2019年6月、かつてのスパーズアシスタントコーチであったブレット・ブラウンヘッドコーチのもとでフィラデルフィア・セブンティシクサーズのアシスタントコーチを務めることが報じられた[4]。
2021年6月28日、GMに鞍替えしたブラッド・スティーブンスの後任としてボストン・セルティックスのHC就任。プレイオフでは、プレイインから勝ち上がったブルックリン・ネッツ、前年覇者ミルウォーキー・バックス、2年前に敗れたマイアミ・ヒートを下し、チームを12年ぶりのNBAファイナルに導き、ゴールデンステイト・ウォリアーズに敗れたものの王者相手に2勝4敗と善戦するなど、就任初年度で手腕が発揮された。
しかし、球団の女性職員との不適切な関係が報じられ、セルティックスは2022年9月22日、1年間職務停止処分することが発表され、2022-23シーズン全試合出場停止することになった[5][6]。
2023年4月25日、ヒューストン・ロケッツのHCに就任した。[7]。
プレイスタイル
体格には恵まれていないが、タフなディフェンスと、スリーポイントを得意としていた。スパーズでは長らく守備の要であったブルース・ボウエンの後継者として期待されていた。ナイジェリア代表チームではガードを務めるなどの器用さも合わせ持っていた。
- ^ “LaMarcus Aldridge: Ime Udoka got the Spurs deal done”. SI.com (2015年8月26日). 2015年12月16日閲覧。
- ^ “LaMarcus Aldridge's move to San Antonio got an unlikely assist” (2015年8月24日). 2015年12月16日閲覧。
- ^ “Spurs Ime Udoka Joins Spurs Coaching Staff”. nba.com (2012年8月28日). 2012年8月28日閲覧。
- ^ “Sixers hiring Ime Udoka to become lead assistant coach”. inquirer.com (2019年6月7日). 2019年6月7日閲覧。
- ^ https://www.nba.com/celtics/news/boston-celtics-suspend-ime-udoka
- ^ https://www.espn.com/nba/story/_/id/34639780/boston-celtics-coach-ime-udoka-facing-potential-disciplinary-action-team-violation-sources-say
- ^ https://www.nba.com/rockets/news/rockets-name-ime-udoka-head-coach
- 1 イーメイ・ウドカとは
- 2 イーメイ・ウドカの概要
- 3 個人成績
- 4 その他
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