イヴァノフ・ラズームニク イヴァノフ・ラズームニクの概要

イヴァノフ・ラズームニク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/30 14:02 UTC 版)

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生涯

トビリシの貧しい貴族の子弟として生まれる。サンクト・ペテルブルクの高等学校からペテルブルク大学の数学科へ進学。1901年に学生デモに参加し、1902年には逮捕され投獄。1904年ナロードニキの理論家ニコライ・ミハイロフスキーについての文章を雑誌『ロシア思想 Русская мысль』に発表し、その他『ロシアの富 Русском богатстве』『ロシア報知 Русские ведомости』への寄稿を開始する。1906年の著作『ロシア社会思想史 История русской общественной мысли』全2巻の発表は、イヴァノフ・ラズームニクを一気に有名にする。1908年には『インテリゲンチヤ Обь интеллигенци』が出版され、これは日本でも大正13年に翻訳出版されている。1910年から1920年には社会革命党に急接近した。この頃からナロードニキ主義の立場からマルクス主義に対抗し、論陣を張る。

1917年から1918年、つまりロシア革命後に、アンドレイ・ベールイとセルゲイ・ムスティスラフスキーが編集する論文集『スキタイ人 Скифы』に参加。この本は、セルゲイ・エセーニンアレクサンドル・ブロークなどのロシア詩人に多大な影響を与えた[1]1923年以降は言論活動の場を奪われ、1937年7月の逮捕・流刑をへて1943年に侵入したドイツ軍によってリトアニア・東プロイセンの避難民キャンプへ収容され、ミュンヘンで没する。1953年ニューヨークで出版された彼自身による回想録『監獄と流刑 Тюрьмы и ссылки』は、ソルジェニーツィンの『収容所群島』に資料として引用されている。

参考

  • 松原広志『ロシア・インテリゲンツィヤ史』1989年
  • 松原広志・訳『監獄と流刑―イヴァーノフ=ラズームニク回想記』(成文社、2016年)

  1. ^ M.スローニム『ソビエト文学』新潮社、1958年、P.209。


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