アーウィン・フリンク・スミス アーウィン・フリンク・スミスの概要

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アーウィン・フリンク・スミス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 23:41 UTC 版)

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アーウィン・フリンク・スミス

略歴

ニューヨークのフルトン近くのギルバート・ミルズに生まれた。1870年に家族とミシガン州に移住しクリントン・カントリーで農園を開くが、事業は失敗し、ノース・プレーンズ・タウンシップに移った。スミスが高校に入学したのは農園の仕事をしなくてよくなった22歳の時である。多くの書籍を読み、独学で植物学細菌学を学んだ。1881年に高校在学中に、ホィラー(Charles F. Wheeler)と共著で、ミシガンの植物に関する著書、"Cataloque of the Phaenogamous and Vascular Cryptogamous Plants of Michigan"を出版した。詩を書くのが好きで、いくつかの詩も書いた。

貧しかったので高校を卒業した後、大学へ進まず、ミシガン刑務所の看守となるが、公衆衛生に興味を持ち、細菌学の本を読み始めた。

1885年にミシガン大学に入学した時には、入学のすぐ後に、ほとんどの課程の試験に合格して見せて、一年後には植物学の学士号を得て、植物産業局(Bureau of Plant Industry)の植物病理学主任となった。1889年にミシガン大学の博士号を得た。植物の病気と細菌の研究を行い、1910年に "Bacteria in Relation to Plant Diseases"(「植物病に関する細菌」)を出版した。

オランダからアメリカに渡ってきた、フランク・ニコラス・マイヤーを雇ったことや[6]、多くの女性研究者に植物産業局で研究させたことでも知られる。これらの女性研究者には、ネリー・A・ブラウン(Nellie A. Brown)、ブライヤン(Mary K. Bryan)、ヘッジズ(Florence Hedges)、マッキュロック(Lucia McCulloch)、カーク(Agnes J. Quirk)、ハッセ(Clara Henriette Hasse)らがいた[7][8]

腸内細菌科の属名、エルウィニア属Erwinia)に献名されている。

参考文献


  1. ^ Clinton, G.P. (March 1936). “EDWIN FRINK SMITH”. Proceedings of the American Academy of Arts and Sciences 70 (10): 575–578. JSTOR 20023193. 
  2. ^ Jones, LR; Rand, FV (1928). “Erwin Frink Smith 1854-1927”. Journal of Bacteriology 15 (1): iv.2–6. PMC: 374975. PMID 16559291. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC374975/. 
  3. ^ Campbell, C. Lee (1983). “Erwin Frink Smith—Pioneer Plant Pathologist”. Annual Review of Phytopathology 21: 21–7. doi:10.1146/annurev.py.21.090183.000321. PMID 20735335. 
  4. ^ Erwin Frink Smith”. Apsnet.org. 2013年3月22日閲覧。
  5. ^ Rogers, A. D. III (1952). Erwini Frink Smith. Memoirs of the American Philosophical Society. 31. pp. 675 
  6. ^ Frank N. Meyer (1875-1918)”. Special Collections, National Agricultural Library. 2014年5月25日閲覧。
  7. ^ Margaret W. Rossiter, "Women Scientists in the United States Before 1920," American Scientist 62 (1974).
  8. ^ Margaret W. Rossiter (1982). Women Scientists in America: struggles and strategies to 1940. Johns Hopkins University Press, ISBN 978-0801825095


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