アンリ4世 (フランス王)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 07:11 UTC 版)
子女
マリー・ド・メディシスとの間に6子を儲けている。
- ルイ13世(1601年 - 1643年) フランス国王
- エリザベート(1602年 - 1644年) スペイン王フェリペ4世妃
- クリスティーヌ(1606年 - 1663年) サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世妃
- ムッシュ・ドルレアン(1607年 - 1611年) オルレアン公
- ガストン(1608年 - 1660年) オルレアン公
- アンリエット・マリー(1609年 – 1669年) イングランド王チャールズ1世妃
ガブリエル・デストレとの間に死産を除き庶子3人を儲けている。
- セザール(1594年 - 1665年) ヴァンドーム公
- カトリーヌ・アンリエット(1596年 - 1663年) 1619年にエルブフ公シャルル2世と結婚
- アレクサンドル(1598年 - 1629年)
略系図
脚注
- ^ “仏国史(具氏). 下冊”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2022年10月18日閲覧。
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」P15
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p15
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p17
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p20
- ^ a b c 「聖なる王権ブルボン家」p23
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p31
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p31-32
- ^ a b 「聖なる王権ブルボン家」p33
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p40
- ^ 「世界の歴史8 絶対君主と人民」p36
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p44-46
- ^ 「世界の歴史7 文芸復興の時代」p271
- ^ 「世界の歴史8 絶対君主と人民」p38
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p47
- ^ 「世界の歴史15 近代ヨーロッパへの道」p167
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p53-54
- ^ 「世界の歴史8 絶対君主と人民」p42
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p55-56
- ^ 「世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花」p256
- ^ 「世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩」p256
- ^ 「世界の歴史8 絶対君主と人民」p40-41
- ^ 「世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花」p257
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p59
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p60
- ^ 流転200年・・・仏国王アンリ4世の頭部、本物と断定、AFPBB News、2010年12月31日閲覧
- ^ ジャンニ・デイヴィス 『消えた屍体:死と消失と発見の物語』 堀口容子著・訳 グラフィック社 2019年 ISBN 978-4-7661-3202-1 pp.86-91.
- ^ 仏国王の頭部は「偽物」、先行研究覆すDNA分析結果 - AFPBB News、2013年10月11日、2019年3月29日閲覧
- アンリ4世 (フランス王)のページへのリンク