アルメニア 国名

アルメニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/18 16:13 UTC 版)

国名

正式名称はアルメニア語(アルメニア文字)で、Հայաստանի Հանրապետություն(ラテン文字転写: Hayastani Hanrapetut'yun)。通称、Հայաստան(Hayastan)。

英語の公式表記は、Republic of Armenia。通称、Armenia

日本語の表記は、アルメニア共和国。通称、アルメニア

アルメニア人は自らをհայ(hay)ハイ(複数形はհայեր(hayer)ハイェル、またはհայք(hayk')ハイク)、国をハヤスタン、またはՀայք(Hayk')ハイクと呼ぶ[13][14]

正式名称Hayastani Hanrapetut'yunの語源は、アルメニア人の始祖ハイク・ナハペトとペルシャ語で国を示す接尾語スターン (地名)から来ている[15]。アルメニアは、ハイ族の王アルメナクから来ている。

歴史

先史時代にはクラ・アラクセス文化英語版があったことが知られており、文明の早い時期から車輪が使われていた。

紀元前6世紀ごろには国際的な商業活動を盛んに行っていたと言われ、紀元前1世紀アルメニア高原を中心にアルメニア王国を築き繁栄した。しかしローマ帝国パルティアサーサーン朝ペルシア帝国の間で翻弄され、両国の緩衝地帯として時に属州となることもあった。

1世紀頃にはキリスト教の布教(十二使徒聖タデヴォス聖バルトゥロメウスが伝道し、殉教した)、2世紀にはアルメニア高地の各地にキリスト教徒がかなりの数に上ったと伝える(カエサリアのエウセビウス(260年 - 339年)『教会史』)。

紀元301年には世界で初めてキリスト教国教とした[16]

405年 - 406年アルメニア文字メスロプ・マシュトツ361年 - 440年)によって創始された。

その後、サーサーン朝ペルシアの支配下に入り(en:Persian Armenia)、さらにアラブの侵攻を受けるが(en:Ostikanate of Arminiya)、9世紀半ばにはバグラト朝英語版が興り(en:Kingdom of Armenia (Middle Ages))、独立を回復した。

しかしバグラト朝も長くは続かず、セルジューク朝en:Seljuq Armenia)、en:Zakarid Armeniaモンゴルen:Mongol Armenia)・ティムール朝en:Turkmen Armenia)などの侵入が相次いで国土は荒廃。このため10世紀に多くのアルメニア人が故国を捨てる(ディアスポラ)ことになった[17]

20世紀初頭のアルメニア人の居住地域(濃い水色)

1636年にアルメニアはオスマン帝国en:Armenians in the Ottoman Empire)とサファヴィー朝ペルシアen:Armenians in the Persianate)に分割統治された。

1826年に始まった第二次ロシア・ペルシア戦争の講和条約・トルコマンチャーイ条約1828年)によってペルシア領アルメニアはロシア領となる。

19世紀後半になるとオスマン帝国の支配下にいたアルメニア人の反発も大きくなり、トルコ人民族主義者との対立が激化。20世紀初頭に至るまで多くのアルメニア人が虐殺され(アルメニア人虐殺)、生き残ったアルメニア人も多くは欧米に移住するかロシア領に逃げ込んだ。

ロシア革命後に民族主義者によりアルメニア第一共和国が樹立されるが、赤軍の侵攻により崩壊し、1920年アルメニア社会主義ソビエト共和国が成立した。1936年まではザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国を構成していた。

1988年アゼルバイジャン共和国にあるナゴルノ・カラバフ自治州でアルメニアに帰属替えを求めるアルメニア人の運動が起こり、これに反発したアゼルバイジャン人との緊張の中で衝突し、両国の本格的な民族紛争(ナゴルノ・カラバフ戦争)に発展した。

1991年ソ連保守派のクーデターが失敗したため、同年9月にアルメニア社会主義ソビエト共和国は「アルメニア共和国」として独立を遂げた[18]10月17日、大統領選挙でレヴォン・テル=ペトロシャンが圧勝した。

しかし、カラバフをめぐるアゼルバイジャン人との紛争は現在も続いている。1991年12月21日独立国家共同体(CIS)に加盟。同年12月25日付でソ連邦は解体・消滅し、アルメニアは晴れて独立国家となった。

政治

政体共和制である。国家元首は大統領で、任期は5年。大統領は、首相を任免し、首相の提案によりその他の閣僚を任免する。

一院制国民議会があり、任期が4年である。定数は131議席で、そのうち75議席が大選挙区制、56議席は比例代表制(2012年時点)。

州知事と大都市の市長は任命制である。

国防組織としてアルメニア共和国軍が存在し、内陸国のため海軍は存在せず、アルメニア陸軍アルメニア空軍、アルメニア国境軍の3軍種により構成される。

新憲法民主化制下で

1995年7月、新議会選挙および新憲法草案について国民投票が行われる。議会選挙では共和国ブロックが勝利、新憲法についての選挙では大統領任期5年、議会解散権、首相任免権付与などの内容が採択された。

1996年9月、新憲法のもとで初の大統領選挙が実施された。初代大統領のレヴォン・テル=ペトロシャンが再選される。

1998年、テル=ペトロシャンの辞任に伴い大統領選挙が行われ、ロベルト・コチャリャンが選出される。1999年10月、国会内で首相、国会議長など8名が死亡した銃撃事件が起こった(アルメニア議会銃撃事件[19]

その後、おおむね政情は安定していたが、コチャリャンの任期終了に伴い2008年に行われた大統領選挙でセルジ・サルキシャンが選出。対立候補であった元大統領のテル=ペトロシャン陣営はこの結果に異議を唱え、大規模な抗議活動が発生、同年3月1日から3月20日まで非常事態宣言が発令されるなど、政情が一時不安定になった。同年4月にサルキシャンは大統領に就任。その後、任期中の2015年に大統領権限の大半を首相に移し、議院内閣制を導入する改憲を成立させた。2018年に2期10年の任期が満了したが、同年4月17日にサルキシャンは大統領退任に伴い首相に鞍替えしたことから、長期政権や汚職疑惑に野党や一部の国民が反発、大規模な抗議活動へと発展した。これを受けてサルキシャンは4月23日に辞任を表明、5月1日に議会選挙が行われたが、最大野党のニコル・パシニャン党首しか出馬しなかったことを理由に与党は反対、否決された。この結果を受けたパシニャン支持派が首都エレバンで大規模な抗議活動やゼネラル・ストライキが起こり12月に総選挙となり首相が率いる改革派が勝利した[20]




  1. ^ アルメニア基礎データ=外務省” (英語) (2014年10月). 2019年2月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). 2014年11月9日閲覧。
  3. ^ Central Intelligence Agency (2014). The CIA World Factbook 2015. Skyhorse Publishing. p. 5241. ISBN 978-1-62914-903-5. https://books.google.com/books?id=xutfBgAAQBAJ&pg=PT5241 
  4. ^ The UN classification of world regions Archived 25 June 2002 at the Wayback Machine. places Armenia in Western Asia; the CIA World Factbook Armenia”. The World Factbook. CIA. 2010年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月2日閲覧。 Armenia”. National Geographic. 2007年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年4月16日閲覧。, . , (Italian) Calendario Atlante De Agostini (111 ed.). Novara: Istituto Geografico De Agostini. (2015). p. sub voce. ISBN 9788851124908  and Oxford Reference Online Oxford Reference. Oxford Reference Online. (2004). doi:10.1093/acref/9780199546091.001.0001. ISBN 9780199546091. https://archive.org/details/worldencyclopedi00oxfo.  also place Armenia in Asia.
  5. ^ The Oxford Encyclopedia of Economic History. Oxford University Press. (2003). p. 156. ISBN 978-0-19-510507-0. https://archive.org/details/oxfordencycloped0000unse/page/156 
  6. ^ (Garsoïan, Nina (1997). R.G. Hovannisian. ed. Armenian People from Ancient to Modern Times. 1. Palgrave Macmillan. p. 81 )
  7. ^ Stringer, Martin D. (2005). A Sociological History of Christian Worship. Cambridge: Cambridge University Press. p. 92. ISBN 978-0-521-81955-8. https://archive.org/details/sociologicalhist00stri 
  8. ^ Smaller nations that have claimed a prior official adoption of Christianity include Osroene, the Silures, and San Marino. See Timeline of official adoptions of Christianity.
  9. ^ Grousset, René (1947). Histoire de l'Arménie (1984 ed.). Payot. p. 122 . Estimated dates vary from 284 to 314. Garsoïan (op.cit. p. 82), following the research of Ananian, favours the latter.
  10. ^ “アルメニア首相、ナゴルノ・カラバフ地域めぐる停戦で合意”. CNN.co.jp. CNN. (2020年11月10日). https://www.cnn.co.jp/world/35162198.html 2020年11月17日閲覧。 
  11. ^ Human Development Report”. United Nations Development Programme (UNDP) (2019年). 2020年7月27日閲覧。
  12. ^ The republic has separation of church and state
  13. ^ 伝説ではこのハイ族の族長アルメナケが一族を率い、自らをと名乗り、一族をアルメニア族と名乗った事が、アルメニアの起源とされている
  14. ^ 造山運動に伴う火山活動でできた石が豊富であり、石の国=カラスタンとも呼ばれる(中島偉晴、メラニア・バグダサリアン編著 『アルメニアを知るための65章』 明石書店 2009年 20ページ)
  15. ^ Armenica.org:Chronology
  16. ^ そのため、エルサレム聖墳墓教会の塗油台の壷は特別に2個おく事が認められている。他は、ローマコンスタンティノポリスアレクサンドリアアンティオキア、エルサレムの五大総主教座(ローマはカトリック教会、残りは東方正教会)、及び、コプト教会のアレクサンドリア総主教座が各1個。合計8個
  17. ^ その中の一部は11世紀にトルコ南東部のキリキアに移住しキリキア・アルメニア王国を建国、14世紀末まで独立を保った
  18. ^ 9月21日、「アルメニアの独立」は、国民投票で承認された。
  19. ^ 吉村貴之「アルメニア / 『第二共和国』の政治 - 安定か停滞か」『アジ研ワールド・トレンド』第8巻第4号(通巻第79号)、アジア経済研究所広報部、2002年4月、 30頁、 ISSN 13413406NAID 40005089033
  20. ^ アルメニア選挙、改革派が圧勝 対ロ関係維持が焦点”. 2019年3月19日閲覧。
  21. ^ アルメニア基礎データ”. 2019年2月16日閲覧。
  22. ^ Anaïs Coignac (2014年1月28日). “男だけが消えた 旧ソ連の小さな国”. ニューズウィーク. http://www.newsweekjapan.jp/picture/126657.php 2014年7月31日閲覧。 
  23. ^ メラニア・バグダサリヤン「教育問題」/ 中島偉晴、メラニア・バグダサリアン編著 『アルメニアを知るための65章』 明石書店 2009年
  24. ^ 中島偉晴、メラニア・バグダサリアン編著 『アルメニアを知るための65章』 明石書店 2009年 20–21ページ
  25. ^ 家屋などの倒壊により約2万5千人が死亡、被災地支援に向かった軍用輸送機Ил-76が墜落、兵士69人を含む78名全員死亡。





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