アメリカ合衆国とイランの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/30 17:11 UTC 版)
2006年対イラン制裁
アメリカはイランの核開発及びイラン政府によるイラクにおけるシーア派民兵に対する後方支援及び財政的支援を問題として、国際的制裁を呼びかけた。後者についてイラン政府はこれを否定している[41]。アメリカ政府は2006年9月8日にアメリカ金融機関関連の銀行を除いて間接的取引を含めたイラン銀行との取引を禁止する制裁を発動した。スチュアート・リービー財務次官の発表によれば、主要イラン国有銀行として、サーデラート・イラン銀行がヒズボラを含むテロ集団に対する資金移転を行った疑いがあるとされたためである。この時点ではイラン金融機関はアメリカの金融市場での直接の取引は禁止されたが、第三国を通じての取引は可能であった。その後サーデラート・イラン銀行による取引は第三国経由でも凍結されているが、リービーによればイランのその他の銀行に対しては適用されないとされている。右の制裁はイランおよびヒズボラに対するブッシュ政権の新たな努力であり、リービーは2001年以降、ヒズボラ支配下の組織にサーデラート・イラン銀行を通じて、イランから直接に5000万ドル以上が流入しているとする。その上で、アメリカ政府はイランとの取引を行わないようヨーロッパ諸銀行及び金融機関を説得したいとしている[42]。
2007年のアメリカ合衆国による在イラク・イラン総領事館襲撃事件
1月12日、アメリカの武装部隊がイラク・アルビールのイラン総領事館を襲撃し、5人のスタッフの身柄を拘束する事件が起こった。
報道によればアメリカ合衆国部隊ははじめに建物周辺にヘリコプターで着陸し、領事館のゲートを突破して警備員を武装解除、その後複数の文書及び機材を没収し、5名の領事館員の身柄を拘束していずれかへと連れ去ったという。
周辺住民は外出することができなかったといい、外出した3人は逮捕された。取材に対し、外出した夫が部隊に逮捕されたと周辺住民の女性が確認している。
この事件について、ロシア外務省のミハイル・カミーニンは領事関係に関するウィーン条約違反であるとして非難している。また同地域を管轄するイラクのクルディスターン地域政府も衝撃と容認しがたい旨を表明している。一方、アメリカ国防総省のスポークスマンであるブライアン・ウィットマンは当該建物は領事館や政府施設ではないと仏AFPに対して回答している。またイラク外相ホーシュヤール・ズィーバーリーは、当該建物はイラン政府の認証を受けた政府機関であるが正式な接受を伴わない経過中のオフィス(リエゾンオフィス)であるとし、同条約36条違反には当たらないとした。
イラク関連木曜聴聞会では、デラウェア選出民主党上院議員で上院外交委員長をつとめるジョー・バイデンが、コンドリーザ・ライス国務長官に対し、ブッシュ政権には国境を越えての作戦権限はないと表明している。バイデンは「現在大統領に対して与えられた権限は、イラクでの武力行使のそれであってイラク以外に対するものでは無いと私は考える。このような行動には議会の承認が必要である。この点を強調しておきたい」とした。
木曜朝、イラン外務省はイラク外務省に書簡を送付し、イラン・イラク関係へのブッシュ政権の干渉を停止させるよう依頼し、総領事館襲撃について抗議している。同書簡では「我らはイラク政府が先述の個人の自由の回復のため即刻処置を講じ、アメリカ合衆国部隊のこのような手段を断罪するよう希望する。本件を追求し、逮捕者の解放に当たることはもとよりイラク政府及びイラク領クルディスターン自治政府当局の責任である」と述べられている。
イランからの関係修復の表明
イラン政府はイスラム革命時から1989年にホメイニー師が死去するまではアメリカに対して強硬な姿勢だったが、その後は、アリー・ハーメネイー師、ハーシェミー・ラフサンジャーニー大統領、モハンマド・ハータミー大統領、マフムード・アフマディーネジャード大統領などが、アメリカがイランに対する敵視政策を止め、アメリカもイランも互いに相手国を理解し、相手国の立場を尊重し、平等互恵の関係を追求する政策に転換するなら、イランはいつでもアメリカとの関係を修復すると表明している[43][44][45][46]。ラフサンジャーニー大統領は1996年のアトランタオリンピックに選手を派遣した。ハータミー大統領は文明の対話を提唱し、2001年9月11日のアメリカに対する武力行使を非難し、被害を受けた人々に哀悼を表明した。アフマディーネジャード大統領はイラク国民が選挙で選出した議会と政府の樹立後の、イラクの治安の回復に協力すると表明している[47][48]。
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