Amia
a.mia
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/27 22:21 UTC 版)
a.mia(エイミア)(1978年 - )は横浜市出身のリズム・アンド・ブルース歌手である。
2002年ユニバーサルJよりデビュー。現在はLittle Hippiesというバンドで活動している。
経歴
神奈川県立金井高等学校卒業。
ディスコグラフィー
シングル
- luvmirage, (2002年4月3日)
- luvmirage,[4:25]
- 作詞:a.mia/作曲・編曲:SATORU SUGAWARA
- TBS系列COUNT DOWN TVオープニングテーマ
- 影と闇とこの空へ[4:58]
- 作詞:a.mia/作曲・編曲:SATORU SUGAWARA
- luvmirage, (Quiet Money Radio Mix)[4:07]
- luvmirage,[4:25]
- Jumpin' to the moon (2002年6月26日)
- Jumpin' to the moon[5:12]
- 作詞:a.mia/作曲・編曲:菅原サトル
- fairy-tale-wonderland[4:53]
- 作詞:a.mia/作曲・編曲:菅原サトル
- Jumpin' to the moon (Unexplored Field Mix)[9:07]
- 編曲:DJ TOKUNAGA
- Jumpin' to the moon[5:12]
- Friday let me down featuring Diggy-MO' (2003年5月21日)オリコン63位
- Friday let me down[4:42]
- 作詞:a.mia・坂本裕介/作曲・編曲:坂本裕介
- Orange[4:34]
- 作詞:a.mia/作曲・編曲:坂本裕介
- Friday let me down [“HBS" Change Up Remix][4:54]
- Orange [K.O.L. Club Remix][4:18]
- 編曲:Johnny-S
- 「a.mia+Key of life」名義。DREAMS COME TRUE「決戦は金曜日」をサンプリング。
- Friday let me down[4:42]
- あなただけを (2003年8月27日)オリコン98位
- あなただけを[5:11]
- 作詞:a.mia/作曲・編曲:sugawara satoru
- ドラマ「クニミツの政」挿入歌
- 情熱の果実 feat.Lady Q[4:32]
- 作詞:a.mia/作曲・編曲:sugawara satoru
- あなただけを “Remixed by melt"[7:41]
- 情熱の果実 “Home Grown Mix"[4:51]
- あなただけを[5:11]
- LAT.43°N 〜forty-three degrees north latitude〜(2003年10月29日)
- LAT.43°N 〜forty-three degrees north latitude〜[5:49]
- 作詞・作曲:YOSHIDA MIWA/編曲:sugawara satoru
- DREAMS COME TRUEのカバー。ドラマ「エ・アロール それがどうしたの」主題歌
- 夜明けの詩 with VOJA[5:26]
- 作詞:reach/作曲・編曲:sugawara satoru
- LAT.43°N 〜forty-three degrees north latitude〜 (INSTRUMENTAL)[5:44]
- LAT.43°N 〜forty-three degrees north latitude〜[5:49]
- lost in your eyes 〜永遠〜 (2004年7月7日)
- lost in your eyes 〜永遠〜[4:32]
- 作詞:a.mia/作曲:Deborah Gibson/編曲:Satoru Sugawara
- デビー・ギブソンのカヴァー
- la*la*la*[3:57]
- 作詞・作曲・編曲:a.mia
- lost in your eyes (food for roots mix)[3:50]
- lost in your eyes 〜永遠〜 (instrumental)[4:30]
- lost in your eyes 〜永遠〜[4:32]
- つぼみ (2005年5月4日)
- つぼみ[4:13]
- 作詞:a.mia/作曲:Satoru Sugawara・Masataka Kitaura・a.mia/編曲:Masataka Kitaura・a.mia
- 願い[5:30]
- 作詞・作曲:a.mia/編曲:Masataka Kitaura・a.mia
- つぼみ[4:13]
- ミュージック feat.Marky fromデリカテッセン (2005年8月3日)
- Music's Come[0:32]
- 作曲:Masataka Kitaura・ryo_miyake/編曲:Masataka Kitaura
- ミュージック feat.Marky from デリカテッセン[3:54]
- 作詞:a.mia・Marky・Masataka Kitaura/作曲・編曲:Masataka Kitaura
- link[4:47]
- 作詞:a.mia/作曲・編曲:Masataka Kitaura
- 笑顔のままで[5:15]
- 作詞・作曲:a.mia/編曲:Masataka Kitaura
- I'm happy 2 be watching the sunset with U[1:01]
- 作曲:Masataka Kitaura・ryo_miyake/編曲:Masataka Kitaura
- Music's Come[0:32]
アルバム
- Rootie (2003年11月19日)オリコン82位
- Rootie “Intro"[1:38]
- 情熱の果実[4:28]
- Friday let me down[4:42]
- LAT.43°N ~forty-three degrees north latitude~[5:47]
- sunlit “Interlude"[0:32]
- 太陽のむこう[5:48]
- F.T.W.[4:47]
- Changes[5:26]
- Better Days[5:15]
- Qing Liang “Interlude"[0:24]
- ペパーミントブルー[5:20]
- 悠久[4:14]
- Tablature “Interlude"[0:42]
- SPICY[4:41]
- luvmirage,[4:21]
- Jumpin' to the moon[5:12]
- あなただけを[5:10]
- Quiet Rootie “Outro"[0:49]
その他
- LADY Q「Hey girl(feat. a.mia)」「情熱の果実 Home Grown Mix(feat. a.mia)」
- 2BACKKA「今だから言える feat.a.mia」
- BENNIE K「pink noise babies with a.mia(Little Hippies)」
外部リンク
アミア
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アミアは
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アルゼンチン・イスラエル相互協会
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AMIA本部(2012年9月16日)
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| 略称 | AMIA |
|---|---|
| 設立 | 1894年 |
| 設立地 | ブエノスアイレス |
| 目的 | アルゼンチンのユダヤ人共同体の福祉・発展[1] |
| 本部 | アルゼンチン・ブエノスアイレス、パステウル633番地 |
アルゼンチン・イスラエル相互協会(アルゼンチン・イスラエルそうごきょうかい、スペイン語: Asociación Mutual Israelita Argentina、略称:AMIA)は、アルゼンチンのブエノスアイレスにあるユダヤ人共同体の組織である。
1894年にアルゼンチンのユダヤ系移民により、「ヘブラー・カディーシャ(Jevrá Kedushá)」の名前で創設され、1940年に現在の名前に改称された[2]。
歴史
前史
19世紀末から20世紀初頭にかけて、アルゼンチンには東欧・中欧・ロシアなどから多くのアシュケナジー系ユダヤ人移民が流入した。アシュケナジー系はアルゼンチンのユダヤ人移民の主流を占める[4]。一方、セファルディー系ユダヤ人も19世紀末から20世紀前半にかけてアルゼンチンへ移住し、主にアレッポ、ダマスカス、トルコ、バルカン半島などに由来する人々が別個の共同体を形成した[5]。
当時、非カトリック教徒の死者はディシデンテス墓地に埋葬されていたため、ユダヤ教式の埋葬を行う独自の墓地を持つことが、初期のユダヤ人共同体にとって重要な課題であった[2]。
ブエノスアイレスでは、1862年にアルゼンチン共和国イスラエル会衆(スペイン語: Congregación Israelita de la República Argentina、CIRA)が設立され、1879年には墓地取得のための資金集めを開始した。1885年には、CIRA会員の一部が墓地取得を目的とする初期のヘブラー・カディーシャを組織していた[6]。
一方、セファルディー系共同体は別の埋葬協会を持っており、アシュケナジー系のヘブラー・カディーシャとは別に、それぞれ自分たちの共同体の埋葬を担う非公式の取り決めを結んでいた[4]。
1893年にはユダヤ系労働者団体ウニオン・オブレラ・イスラエリタ・ポアレイ・ツェデク(スペイン語: Unión Obrera Israelita Poalei Tzedek)の主導で、アシュケナジー系の埋葬協会の設立に向けた動きが本格化し[6]、同年9月26日にブエノスアイレスで、CIRAやウニオン・オブレラ・イスラエリタ・ポアレイ・ツェデクなど複数のユダヤ系団体の代表者が、ユダヤ教式の埋葬を担う組織を設立することで合意した[4][6]。
ヘブラー・カディーシャの創設
この合意を受けて、1894年7月22日には、CIRAのラビであったヘンリー・ジョセフを代表として、アシュケナジー系ユダヤ人の埋葬協会「ヘブラー・カディーシャ・アシュケナジー」(Chevra Keduscha Ashkenazi)が結成された[4]。
同協会の目的は、会員・非会員を問わずユダヤ教式の埋葬を受けられるようにすることであった。当初はプロテスタント墓地の墓所を借用しながら、独自の墓地の取得を目指したが、その過程では財政上・法的な困難や世論の反発にも直面した[4]。
アルゼンチン政府の説明でも、AMIAは1894年にユダヤ教の伝統、相互扶助、共同体の文化・宗教活動を支える組織「ヘブラー・カディーシャ」(Jevrá Kedushá)として創設され、初期の事業の一つとして共同体墓地の設立に取り組んだとしている[2]。
1910年、同協会はブエノスアイレス郊外のリニエルスに最初の埋葬地を取得した[4]。その後、同協会はユダヤ教式埋葬に不可欠な墓地を運営することで安定した収入を得るようになり、1920年代には公的・共同体的な諸機関への資金援助も行うようになった[4]。
1930年代には、同協会の活動は埋葬事業にとどまらず、ユダヤ教育や宗教指導体制の整備にも広がった。1934年にはより大きなラ・タブラーダ・イスラエル墓地を取得し、1935年には大ブエノスアイレスのユダヤ教育を組織する教育委員会の設立を支援したほか、ラビ委員会を設立した[4]。
こうした共同体活動の拡大を背景に、同協会は1940年12月17日、相互扶助団体「アルゼンチン・イスラエル相互協会」(Asociación Mutual Israelita Argentina、AMIA)へと改組・改称された[4]。
アルゼンチン・イスラエル相互協会(AMIA)に改称後
AMIAへの改組後、同協会は引き続き埋葬事業を基盤としつつも、教育、宗教、社会福祉、文化活動などを担う共同体機関として発展した。アルゼンチン政府は、AMIAをアルゼンチンのユダヤ人共同体における「母体機関」と位置付けており、同組織からユダヤ教育中央評議会、アルゼンチン・ユダヤ人共同体連盟、ツェダカー財団などの組織が生まれたとしている[2]。ブエノスアイレス市の観光公式サイトも、AMIAが長年にわたりアルゼンチンのユダヤ人共同体の中心機関として機能してきたと説明している[7]。
1945年、AMIAはブエノスアイレスのパステウル633番地(Pasteur 633)に本部ビルを開館した。この建物にはAMIAのほか、アルゼンチン・イスラエル系協会代表団(DAIA)の事務所、IWO の図書館、ラビナート、ユダヤ教育関係機関なども置かれ、アルゼンチンのユダヤ人共同体の中心施設となった[8]。
本部ビルは、後期アール・デコ様式に合理主義的・記念碑的要素を取り入れた折衷的な設計であった[2]。同地は、ブエノスアイレスのバルバネーラ地区に位置し、アルゼンチンのユダヤ人共同体の伝統的な集住地の一つであった[2]。
1974年から、AMIAは求職者支援も開始した。この事業は当初、仕事を紹介する職業紹介所として始まり、2001年末には米州開発銀行との合意により、求職者と企業の双方を支援する雇用事務所ネットワークへと拡大した[9]。
AMIA本部爆破事件
1994年7月18日、ブエノスアイレスのAMIA本部ビルで自動車爆弾が爆発。この攻撃で本部ビルは全壊し、85人が死亡、300人以上が負傷した[10]。この事件は、アルゼンチン史上において最悪のテロ事件である[11]。
アルゼンチン司法当局は、AMIA爆破事件をイラン政府の決定に基づきレバノンのテロ組織ヒズボラが実行した攻撃と認定し、イラン政府高官とヒズボラ幹部の逮捕状を発給した[3]。
2007年にインターポールは、アルゼンチン請求のうち、イラン情報相アリー・ファッラーヒヤーン、イスラム革命防衛隊総司令官モフセン・レザーイー、革命防衛隊ゴドス軍司令官アフマド・ヴァヒーディー、在アルゼンチン使館文化担当官モフセン・ラッバーニー、在アルゼンチン大使館外交官アフマド・レザー・アスガリー、ヒズボラ幹部イマード・ムグニーヤ(役職は事件当時)の6人について赤手配書の発行を認め、国際手配とした[12]。
しかし、イランは指名手配犯の引き渡し請求を無視。アルゼンチン政府は、ヴァヒーディーら指名手配犯が処罰されないままイラン政府内で権力の地位に就いていることを批判している[13]。
2024年に出されたアルゼンチンの連邦刑事破毀院の判決は、爆破事件について、イラン政府が計画立案し、ヒズボラの戦闘員により実行されたとの判決を出すとともに、事件を人道に対する罪と位置付けた[14]。
AMIAは事件後、犠牲者の追悼活動とともに、イラン政府とテロ組織ヒズボラの責任追及と、犯罪責任者を司法手続きにかけることを求める活動を続けている[15]。
AMIA本部再建後
爆破事件で破壊されたAMIA本部ビルは同地に再建され、1999年5月26日に開館した[16]。
現在の本部ビルは、AMIAの組織活動の拠点であるとともに、事件の記憶を継承する施設としても機能している。館内には、AMIA爆破事件に関する常設展示、企画展示、アルゼンチン・ユダヤ教資料情報センター「Marc Turkow」、没入型展示室が置かれ、外部訪問者向けの見学ツアーも行われている[17]。また、教育、文化、社会福祉、雇用支援、芸術制作、地方共同体支援、青年活動、会員・開発、ラビナート、共同体埋葬など、AMIAの各部門が活動している[17]。2019年には中央ホール、講堂、芸術スペースが再整備された[17]。
同ビルには、AMIAのほか、DAIA[18]、アルゼンチン・シオニスト機構(スペイン語: Organización Sionista Argentina、略称:OSA)[19]、バマー教育文化財団(スペイン語: Fundación BAMÁ de Educación y Cultura)[20]などの事務所も入っている。
2006年にはウリブル650番地に新たな事務所を設け、高齢者支援、雇用支援、児童・障害者支援、ボランティア活動、企業の社会的責任支援に関する各部門を置いた[7]。
2007年に法律第26,269号により、パステウル633番地は、国定史跡(スペイン語: Lugar Histórico Nacional)に指定された[21]。法案の提案理由では、AMIA爆破事件の犠牲者への追悼と、事件現場を社会の記憶として残すことが指定理由として説明されている[22]。
活動
AMIAは、アルゼンチンにおけるユダヤ人の個人・家族・制度的な生活の発展、ユダヤ文化の継承、共同体意識の強化を目的としている[1][23]。また、民主主義と多元主義を重視し、社会の多様性を踏まえた共生の促進も掲げている[23]。
活動分野は、社会福祉、文化、雇用、教育、芸術、児童、青少年、高齢者支援などに及ぶ[23]。また、教育機関の強化、生活に困難を抱えているユダヤ人家庭の生活支援、イスラエルおよび世界のユダヤ人共同体との関係強化、ユダヤ教の伝統や文化遺産の継承、アルゼンチン国内のユダヤ系機関との協力も目的として掲げている[1]。
AMIAの事業は基本的にはユダヤ人共同体を基盤としているが、一部の事業はユダヤ人共同体外にも開かれており、例えば、AMIA雇用サービスは、求職者向けのサービスを無料で提供しているが、これは宗教を問わず社会全体に開かれている[24][25]。
AMIA雇用サービスは、1974年にAMIAの社会プログラム部門に属する職業紹介所として始まったものだが、1999年の本部再建後には「AMIA労働指導・開発センター」(CODLA)として再編され、2001年には米州開発銀行との合意により、AMIA雇用サービスとして全国的な雇用事務所ネットワークへ発展した[24]。求人情報、就職相談、技術・職業訓練の無料講座を提供している[24][25]。また、企業向けには人材紹介、人材評価、企業研修、ダイバーシティ・包摂に関する雇用支援、人的資源管理の相談などを行っている[26]。
社会福祉分野では、高齢者支援、生活困窮者への支援、児童支援、障害者支援、ボランティア活動の調整などを行っている。2020年の年次報告では、支援対象として高齢者2572人、生活支援2360人、児童824人、障害者510人が挙げられ、ボランティア活動には155人が参加した[27]。
教育分野では、AMIAはユダヤ教育中央評議会(Vaad Hajinuj)を通じてユダヤ学校ネットワークを支援している[28]。
文化部門(AMIA Cultura)は、歴史、芸術、映画、音楽、ヘブライ語、ユダヤ思想などに関する講座を実施している[29]。
また、AMIAはアルゼンチン・ユダヤ共同体連盟(Vaad Hakehilot)とAMIA Cultura Federalを通じて、地方のユダヤ人共同体との連携、研修、教育・文化活動の支援も行っている[27]。
ユダヤ教に関する部門である上級ラビナート(Superior Rabinato)は、ユダヤ教の宗教規範に関する相談、助言、情報提供、各種証明文書の発行などを担っている[30]。
AMIAは、創設以来の中核事業である共同体埋葬も継続している。2023年には、会員のためにラ・タブラーダ墓地とベラサテギ墓地への往復送迎サービスを開始したほか、生前に加入して葬儀・埋葬・墓碑建立に備える「Nuevo ACI」制度を開始した[31]。
青年向けには、AMIA青年部(スペイン語: AMIA Joven)が、若者を対象にした交流、教育、文化活動を行っている。2023年には、若者の専門能力、文化活動、健康的な生活を支援するワークショップ企画「Shenkin」を開始した[31]。
組織
AMIAの組織上部には、会長(スペイン語: Presidente)を中心とする理事会(スペイン語: Comisión Directiva)が置かれている。年次報告に掲載された組織図では、理事会の下に執行局(スペイン語: Dirección Ejecutiva)が置かれており、そこが、社会プログラム、ユダヤ教育中央評議会(Vaad Hajinuj)、雇用サービス、文化、青年部(AMIA Joven)、警備、人事、会員・開発、アルゼンチン・ユダヤ共同体連盟(Vaad Hakehilot)、インフラ、広報、共同体埋葬、管理、芸術制作などの実務部門を統括している[27]。
また、理事会には法務顧問、内部監査、外部監査、上級ラビナート、AMIA爆破事件担当弁護士、労務法務顧問、税務顧問などの助言・監査機関が付属している[27]。
AMIA会長を含む理事会は、間接選挙によって選出される。会員は任意投票で90人から成る会員代表者会議(スペイン語: Asamblea de Representantes de Socios、RAT)の構成員を選び、この会員代表者会議が理事会(スペイン語: Comisión Directiva)を選出する[32][33]。
2025年4月の選挙後、2025年6月5日にAMIA新執行部が就任し、オスバルド・アルモサ(Osvaldo Armoza)が、2025年から2028年までの任期で会長に就任した[34][35]。
アクセス
AMIA本部の最寄り駅は、ブエノスアイレス地下鉄B線のパステウル=AMIA駅である。同駅はコリエンテス大通りとパステウル通りの交差部付近に位置し、AMIA本部から約200メートルの場所にある[36][37]。
同駅は1930年10月17日にB線の駅として開業し、当初は「パステウル駅」と呼ばれていたが、AMIA爆破事件の現場に近いことから、2015年に駅構内が事件犠牲者を追悼する記憶空間として整備され、同年の法律第5320号によって駅名に「AMIA」が加えられた[38][37]。
脚注
- 1 2 3 “Asociación Mutual Israelita Argentina - AMIA” (英語). HelpArgentina. 2026年5月24日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 “Asociación Mutual Israelita Argentina” (スペイン語). Argentina.gob.ar. 2026年5月24日閲覧。
- 1 2 “UFI AMIA: Informe de gestión” (PDF) (スペイン語). Ministerio Público Fiscal (2017年7月). 2026年5月24日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “Amia” (英語). Encyclopedia.com. 2026年5月24日閲覧。
- ↑ Liebscher, Doris (2023). “Structuring Jewish Buenos Aires at the end of the long nineteenth century” (英語). Jewish Culture and History 2026年5月24日閲覧。.
- 1 2 3 “Patrimonio cultural en cementerios y rituales de la muerte” (PDF) (スペイン語). Buenos Aires Ciudad. 2026年5月24日閲覧。
- 1 2 “AMIA” (スペイン語). Sitio oficial de turismo de la Ciudad de Buenos Aires. 2026年5月24日閲覧。
- ↑ (スペイン語) Identidades, memorias y poder cultural en la Argentina, siglos XIX al XXI 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “Cuando el dar es recibir” (PDF) (スペイン語). AMIA (2011年1月28日). 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “A bomb destroyed a Jewish community center in Argentina in 1994. What has happened since?” (英語). AP News. 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “31 years since the AMIA bombing” (英語). Casa Rosada (2025年7月18日). 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “INTERPOL Executive Committee takes decision on AMIA Red Notice dispute” (英語). INTERPOL (2007年3月15日). 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “Argentina demands the arrest of Iranian minister Ahmad Vahidi, responsible for the terrorist attack on AMIA” (英語). Ministerio de Relaciones Exteriores, Comercio Internacional y Culto (2024年4月23日). 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “Argentina court blames Iran for deadly 1994 bombing of Jewish center” (英語). Reuters. (2024年4月12日) 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “CAUSA AMIA: Informe de lo actuado judicialmente, actualizado (2024)” (PDF) (スペイン語). AMIA (2024年). 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “El nuevo edificio de la AMIA y la DAIA cumplió 15 años” (スペイン語). DAIA (2014年5月30日). 2026年5月24日閲覧。
- 1 2 3 “A 27 años de su reapertura, Pasteur 633 sigue siendo un símbolo de memoria, continuidad y compromiso con la vida” (スペイン語). Cadena Judía (2026年5月21日). 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “PLATAFORMA VIRTUAL” (スペイン語). DAIA. 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “Comienzan los Ulpanim de hebreo” (スペイン語). Organización Sionista Argentina (2019年2月21日). 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “La Fundación” (スペイン語). Fundación BAMÁ. 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “Ley 26269 - Lugares Históricos Nacionales” (スペイン語). Argentina.gob.ar (2007年7月17日). 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “Proyecto de ley 0427-D-2007” (スペイン語). Honorable Cámara de Diputados de la Nación (2007年3月9日). 2026年5月24日閲覧。
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- 1 2 3 4 “SENTIDO DE COMUNIDAD” (PDF) (スペイン語). AMIA. 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “La Ministra de Educación visitó la AMIA” (スペイン語). Buenos Aires Ciudad (2016年5月5日). 2026年5月24日閲覧。
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- ↑ “Proyecto” (スペイン語). Honorable Cámara de Diputados de la Nación. 2026年5月24日閲覧。
- 1 2 “Memoria y balance 2023” (PDF) (スペイン語). AMIA. 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “La AMIA renovó autoridades de su Comisión Directiva” (スペイン語). Infobae (2025年4月7日). 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “El BUR se impuso en las elecciones de AMIA con el 68.17% de los votos” (スペイン語). Cadena Judía (2025年4月6日). 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “Las nuevas autoridades de la AMIA asumirán el 5 de junio: quiénes integran la comisión directiva” (スペイン語). Infobae (2025年5月29日). 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “El Presidente Milei estuvo presente en el acto por los 31 años del atentado terrorista a la AMIA” (スペイン語). Argentina.gob.ar (2025年7月18日). 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “Pasteur - AMIA” (スペイン語). Subte Buenos Aires. 2026年5月24日閲覧。
- 1 2 “Estación Pasteur – AMIA” (スペイン語). Subte Info. 2026年5月24日閲覧。
- ↑ “Estación Pasteur, un lugar para la memoria” (スペイン語). Buenos Aires Ciudad (2015年6月18日). 2026年5月24日閲覧。
関連項目
外部リンク
Amia(あみあ)
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