RO&D、みんなの太陽から暗黒の太陽へ
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「太陽ケア」の記事における「RO&D、みんなの太陽から暗黒の太陽へ」の解説
2004年1月2日に復帰。この時TAKAみちのくからの勧誘を受け、外国人軍団RO&Dに参加する。ケアもヒールとなり、「みんなの太陽」から「暗黒の太陽」と呼ばれるようになった。 7月10日、プロレスリング・ノア東京ドーム大会に武藤と組んで参戦し、三沢・小川組と対戦した。ケアもフォールを奪われたものの、三沢と武藤の初対戦ばかりが注目される中でケアも健闘ぶりを見せた。かつてケアを酷評した三沢も、ケアのそのレベルアップぶりを認めた。 2005年1月16日、大阪府立体育会館でジャマールと組んで棚橋弘至、吉江豊組と世界タッグ王座決定戦を行い勝利し、第51代王座となった。 2月5日、日本武道館で行われたジャイアント馬場七回忌追悼興行では、馬場に敬意を表してリングネームを本名の「マウナケア・モスマン」に戻した。
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