Morimichi Takagiとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Morimichi Takagiの意味・解説 

高木守道

(Morimichi Takagi から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 03:40 UTC 版)

高木 守道(たかぎ もりみち、1941年7月17日 - 2020年1月17日[1])は、岐阜県稲葉郡鏡島村(現:岐阜市)出身[2]愛知県名古屋市生まれ[3])のプロ野球選手内野手)・コーチ監督解説者


注釈

  1. ^ ゴロを捕球した二塁手が二塁ベースカバーに回っている遊撃手へ送球する際、体の反転・左回転を省き右掌で送球する技術[10]
  2. ^ その後200本塁打は稲葉篤紀、2000本安打は稲葉と駒田徳広も記録。
  3. ^ その後、石毛宏典谷繁元信も記録。
  4. ^ その後中日の生え抜き野手としては谷沢健一立浪和義荒木雅博もそれぞれ通算2000本安打を達成している。
  5. ^ しかし、この1980年にはプロ野球最年長の野村克也も引退しているが、野村・王に次ぐプロ野球選手最年長選手は張本勲であった。
  6. ^ 板東の著書に記述があり、2011年4月10日放送の「サンデードラゴンズ」でも証言している。
  7. ^ 板東は「ボールを足でマウンドに蹴り返した」と証言しているが、髙木は「足で止めただけ」と蹴り返したことは否定している。
  8. ^ この騒動は、関本が翌年太平洋クラブライオンズに移籍する遠因となった。

出典

  1. ^ a b c d ミスタードラゴンズ髙木守道さん死去(78歳) バックトスは永遠に」『中日スポーツ』中日新聞社、2020年1月18日、紙面から。2020年1月18日閲覧。オリジナルの2020年1月18日時点におけるアーカイブ。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 中日新聞』2020年5月2日朝刊第10版運動・スポーツ面18頁「堅守の求道者 1・ミスターとの出会い 二塁手の原点 長嶋の目」(中日新聞社
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 高木守道の名人野球教室~内野守備編~”. ヒマラヤスポーツ. 2020年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月22日閲覧。
  4. ^ a b c d た | プロ野球在籍者名簿”. 日本野球機構. 2024年1月6日閲覧。
  5. ^ 『中日ドラゴンズ '94ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)・中日新聞本社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、1994年3月16日、10頁。ISBN 978-4806202714 
  6. ^ 【ボクの思い出STADIUM】ナゴヤ球場」『中日スポーツ』中日新聞社、2016年6月14日。2018年3月3日閲覧。オリジナルの2018年3月3日時点におけるアーカイブ。
  7. ^ 【10月14日】1974年(昭49) 長嶋茂雄、引退 その日のミスターと周囲の人々」『スポニチアネックス』スポーツニッポン新聞社、2007年10月8日。2007年10月27日閲覧。オリジナルの2007年10月27日時点におけるアーカイブ。
  8. ^ a b c 『中日新聞』2020年5月3日朝刊第10版運動・スポーツ面20頁「堅守の求道者 2・初打席で初本塁打 交代出場 衝撃デビュー」(中日新聞社)
  9. ^ a b ベースボール・マガジン社 2007, p. 165.
  10. ^ a b c d 『中日新聞』2020年5月4日朝刊第10版運動・スポーツ面17頁「堅守の求道者 3・バックトス 職人技 鍛錬の積み重ね」(中日新聞社)
  11. ^ a b c 『中日新聞』2020年5月6日朝刊第10版運動・スポーツ面16頁「堅守の求道者 5・死球禍 残った痛み 消えた輝き」(中日新聞社)
  12. ^ 『中日新聞』2020年5月8日朝刊第10版運動・スポーツ面25頁「堅守の求道者 6・二人三脚 逆境打開の『大根切り』」(中日新聞社)
  13. ^ 『中日新聞』2020年5月9日朝刊第11版運動・スポーツ面22頁「堅守の求道者 7・リーグ優勝 あの守道さんが泣いた」(中日新聞社)
  14. ^ 『中日ドラゴンズ70年史』掲載のOB座談会
  15. ^ a b c 『中日新聞』2020年5月10日朝刊第11版運動・スポーツ面16頁「堅守の求道者 8・日本シリーズ 不運の骨折 耐えて奮闘」(中日新聞社)
  16. ^ 2012年10月6日付「中日スポーツ」2面。
  17. ^ a b c d 1988年優勝の軌跡”. 中日新聞 (2021年3月29日). 2021年3月29日閲覧。
  18. ^ a b 「すまない徳武さん」相次いだ監督休養……波乱の1995年”. 中日新聞 (2022年4月30日). 2022年4月30日閲覧。
  19. ^ 『ベースボール・レコード・ブック 1994』(ベースボール・マガジン社)の<セントラルリーグ回顧>の『中日』p27、『阪神』p31
  20. ^ 落合博満『勝負の方程式』小学館、1994年、p148-p149
  21. ^ 【豊田誠佑コラム】大豊の打撃フォーム「足を上げるか上げないか」論争ボッ発 – 東京スポーツ新聞社”. 東スポWeb (2022年6月21日). 2022年6月21日閲覧。
  22. ^ 『中日スポーツ』1994年10月14日付第5版1頁「1年勝負!!優勝しかない 高木監督続投決定 加藤オーナー 精鋭集めろ コーチ陣まず強化」(中日新聞社)
  23. ^ 月刊ドラゴンズ』2017年10月号、p33
  24. ^ 監督の交代について”. 中日ドラゴンズ (2011年9月22日). 2018年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月22日閲覧。
  25. ^ 中日、セ5球団全てに負け越し 12年ぶりBクラス スポーツニッポン 2013年10月5日配信
  26. ^ 中日・高木監督が退任表明 中日新聞 2013年9月26日配信
  27. ^ 退任の高木監督が会見「恩返しできなかった。それが一番残念」 スポーツニッポン2013年10月8日配信
  28. ^ 高木守道さん急死 78歳、ミスター・ドラゴンズ」『中日新聞』中日新聞社、2020年1月18日、朝刊1面。2020年1月18日閲覧。オリジナルの2020年1月18日時点におけるアーカイブ。
  29. ^ 球団史上最高の4人を選ぶ 中日ドラゴンズ編”. 日本プロ野球RCAA&PitchingRunまとめ. 2015年9月6日閲覧。
  30. ^ 【掛布雅之さん】プロ野球歴代ベストナインを選んでもらった!
  31. ^ 田尾、藪、岡が考えるプロ野球ベストナイン(前編) - YouTube
  32. ^ a b 大山くまお (2021年1月29日). “星野仙一も絶賛……“プロ野球史上最高の二塁手”高木守道さんは何がすごかったのか”. 文春オンライン. 2021年4月1日閲覧。
  33. ^ 盟友・高木守道氏を悼む 今も耳に残る「パチン!」の音
  34. ^ 山本昌 『133キロ怪速球』 ベースボール・マガジン社、2009年。ISBN 978-4583101699。 p139
  35. ^ 意外な選手が多い?初打席で本塁打を放った選手たち”. BASEBALL KING (2018年3月11日). 2020年7月18日閲覧。
  36. ^ 【田尾安志さん登場】同志社から中日まで、懐かしのエピソードを本人に直撃【初コラボ】前編 - YouTube
  37. ^ NHK片山アナ 4月から東京へ 大叔父様は竜・高木監督 中日スポーツ 2012年2月2日閲覧(web魚拓による保存措置)
  38. ^ 『中日新聞』2020年5月5日朝刊第11版運動・スポーツ面15頁「堅守の求道者 4・むっつり右門 寡黙で一徹 心根は素直」(中日新聞社)
  39. ^ 若狭敬一 (2020年1月24日). “優しく、粋だったミスタードラゴンズ・高木守道さんはいつも笑っていた”. 文春オンライン. 2021年4月1日閲覧。
  40. ^ 中日高木監督が怒りのノーサイン 日刊スポーツ 2012年5月4日
  41. ^ プロ野球「師弟の絆」裏物語 第3回 谷繁元信と権藤博の「一意奮闘」(4)”. Asagei+(徳間書店) (2012年9月18日). 2017年9月11日閲覧。
  42. ^ 高木監督、権藤コーチと緊急会談”. スポニチ (2012年7月3日). 2017年12月4日閲覧。
  43. ^ "努力する天才""究極のわがまま"「そのどちらもが高木守道」権藤博さん59年の付き合いを語る”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ (2020年1月18日). 2020年1月23日閲覧。
  44. ^ 「ワシは何とも思わんよ」…サンドバッグを受け入れた、高木守道さんの懐の深さ”. BASEBALL KING (2021年1月30日). 2021年4月1日閲覧。
  45. ^ 中日黄金時代を支えた井端弘和氏が高木守道監督との一触即発事件を振り返る「オレなんか試合途中で帰ったことも…」 中日スポーツ、2020年1月18日、2021年6月4日閲覧
  46. ^ 岐阜市民栄誉賞”. 岐阜市. 2017年12月4日閲覧。
  47. ^ a b “【データ】村上宗隆プロ野球新5打席連続本塁打 20人「打数」と13人「打席」の両方を更新”. 日刊スポーツ. (2022年8月2日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202208020001009.html 2023年1月13日閲覧。 
  48. ^ 阪神・江越 珍記録!3試合にまたいで3打席連発「やっと来たなと」.スポニチ Sponichi Annex 野球.2016年4月10日閲覧。
  49. ^ ベースボール・マガジン社 2007, pp. 165–167.
  50. ^ a b c ベースボール・マガジン社 2007, p. 167.


「高木守道」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

Morimichi Takagiのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Morimichi Takagiのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高木守道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS