Maurice Gendronとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Maurice Gendronの意味・解説 

モーリス・ジャンドロン

(Maurice Gendron から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 15:39 UTC 版)

モーリス・ジャンドロン
生誕 (1920-12-26) 1920年12月26日
出身地 フランスニース
死没 (1990-08-20) 1990年8月20日(69歳没)
学歴 パリ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 チェリスト
担当楽器 チェロ

モーリス・ジャンドロンMaurice Gendron, 1920年12月26日-1990年8月20日)は、フランスチェリスト指揮者[1]

経歴

幼少期

憧れのチェリストエマーヌエル・フォイアーマン (1934年)

1920年、ニースの貧しい家庭に生まれる[2]。母は映画館でヴァイオリンを弾いており、モーリス少年が初めて音楽を聴いたのはこの映画館であった[2]。賢い子どもであったモーリス少年は、3歳で楽譜が読めるようになり、4歳からヴァイオリンをはじめたが、あまり好きにはなれなかった[2]。ただ、5歳の時にもらった4分の1サイズのチェロは気に入った[2]。最初のチェロの師ステファーヌ・オドゥロは、モーリスが10歳のときにエマーヌエル・フォイアーマンのコンサートに連れて行ったところ、モーリスは大いに感動し、生涯フォイアーマンを尊敬するようになった[2]

なお、のちにフォイアーマンと会う機会は何度かあり、フォイアーマン自身から弟子になるよう言われたこともあったが、経済的な理由でかなわなかった[3]

学生時代

パリでの師ジェラール・エッキャン (1911年)

11歳よりニース音楽院でジャン・マンゴットに学び、14歳で1等賞を得て卒業した[2][4][5]。17歳の時にはチェロを借り、鉄道切符と1000フランをもらってパリ音楽院ジェラール・エッキャンに師事するようになった[2]。ただし生活は苦しく、暖房のない部屋に暮らしながら新聞を売って生計を立てなくてはならず、第二次世界大戦期は栄養失調で兵役を免除されるほどであった[2]。それでもなおジャンドロンはレジスタンス運動に加わってドイツでの演奏を拒否しており、危うく収容所に送られそうになった[2]

パリでは、ピアニストのジャン・ヌヴー(ヴァイオリニストのジネット・ヌヴーの兄)との私的演奏会を通じて交友関係を築き、ジャン・コクトージョルジュ・ブラックマルク・シャガールパブロ・ピカソらと知り合いになった[2]。また、多くの音楽家とも知り合ったが、その中でもフランシス・プーランクジャン・フランセはジャンドロンの音楽観に大きな影響を与えており、特にフランセとは、25年以上ともにリサイタルを行った[2]。フランセの他にはディヌ・リパッティとも交流しており、レコードをつくる計画もあったが、リパッティが早逝したため果たされなかった[2][6]

また、ロジェ・デゾルミエールヘルマン・シェルヘンウィレム・メンゲルベルクから指揮法を教わっている[4]

戦後の活躍

チェリスト・指揮者のパブロ・カザルス (1922年)

1940年に最優秀の成績でパリ音楽院を卒業して以降[7]、戦争のために演奏活動が妨げられていたが、戦争が終わった直後、ジャンドロンは美術史家のケネス・クラークの紹介で、パリでベンジャミン・ブリテンピーター・ピアーズと会った[4][6]。その縁で、1945年12月2日にロンドンのウィグモア・ホールでブリテンを伴奏者にしたリサイタルを行い、ソロ・デビューを果たした[6]。同じく12月には、ワルター・ジュスキントが指揮するロンドン・フィルハーモニー管弦楽団とともに、プロコフィエフの『チェロ協奏曲第1番』のイギリス初演を行った[6]。こうしてジャンドロンのキャリアは開始した[6]。なお、元々はチェロの弦としてガット弦を用いていたが、途中でスチール弦に切り替えている[8]

その後は、ブリテンとピアーズとの縁でオールドバラ音楽祭に出演したり、尊敬するフォイアーマンの追悼演奏会でニューヨーク・デビューを果たしたり、ユーディ・メニューイン、ヘフツィバー・メニューインの兄妹と25年以上にわたってトリオで活動したりした[6]

また、著名なチェリストのパブロ・カザルスと交流するようになり、プラドのカザルス音楽祭に参加して教えを受けた[4]。のちにはカザルスの指揮で協奏曲の録音も行っている[3]。これはジャンドロンからの要望であり、フィリップス社がジャンドロンに、ボッケリーニの変ロ長調の協奏曲とハイドンの『チェロ協奏曲第2番』をラムルー管弦楽団と録音するよう依頼した際、指揮者をカザルスとするよう伝えている[6][3]。なお、この録音ではジャンドロンがドレスデン国立図書館で発見したオリジナルのスコアが用いられた[3]

また、チェリストとしての活動以外にも、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ラムルー管弦楽団、ボーンマス交響楽団の指揮を行った[4]

1990年8月20日、パリ近郊にて死去[1]

楽譜出版

ボッケリーニハイドンダヴィドフのチェロ協奏曲の新版を出版し、自身によるいくつかのカデンツァを加えつつ編曲を行った[9]

教育活動

1954年から1971年まではザールブリュッケン音楽大学で、1970年からはポール・トルトゥリエの後任としてパリ音楽院で教鞭をとった[4][9]。そのほかにも、ザルツブルクモーツァルテウムサン・ジャン・ド・リューズのモーリス・ラヴェル・アカデミー、サリーのメニューイン・スクールで指導をした[3]。教えるさいは、フォイアマンの教えを弟子に伝えるよう努めた[3]

評価

バッハの『無伴奏チェロ組曲』の録音は、1965年にACCディスク大賞を受賞した[4]。また、指揮者カザルスと共演したディスクはアムステルダムで「エジソン賞」を、パリで「ディスク大賞」を受賞した[7]

参考文献

  • 音楽之友社編『名演奏家事典(中)』音楽之友社、1982年、ISBN 4-276-00132-3
  • エリザベス・カウリング『チェロの本』三木敬之訳、シンフォニア、1989年。
  • マーガレット・キャンベル『名チェリストたち』山田玲子訳、東京創元社、1994年、ISBN 4-488-00224-2
  • ポール・トルトゥリエ、ディヴィッド・ブルーム『ポール・トルトゥリエ チェリストの自画像』倉田澄子監訳、伊藤恵以子訳、音楽之友社、1994年、ISBN 4-276-20368-6
  • ユリウス・ベッキ『世界の名チェリストたち』三木敬之、芹沢ユリア訳、音楽之友社、1982年、ISBN 4-276-21618-4

脚注

  1. ^ a b Kozinn, Allan (1990年8月21日). “Maurice Gendron, a Cellist, 69; Known as Soloist and Conductor (Published 1990)” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/1990/08/21/obituaries/maurice-gendron-a-cellist-69-known-as-soloist-and-conductor.html 2021年1月31日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l キャンベル (1994)、247頁。
  3. ^ a b c d e f キャンベル (1994)、249頁。
  4. ^ a b c d e f g 音楽之友社編『名演奏家事典(中)』1982年、435頁。
  5. ^ カウリング (1989)、201頁。
  6. ^ a b c d e f g キャンベル (1994)、248頁。
  7. ^ a b ベッキ (1982)、241頁。
  8. ^ トルトゥリエ、ブルーム (1994)、165頁。
  9. ^ a b ベッキ (1982)、242頁。

外部リンク


「Maurice Gendron」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Maurice Gendron」の関連用語

Maurice Gendronのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Maurice Gendronのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのモーリス・ジャンドロン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS