ジョン・マーティン
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ジョン・マーティン(英:John Martin, 1789年7月19日 - 1854年2月17日)は、19世紀の英国人のロマン派の画家、版画家、都市計画家。イングランド最北部のノーサンバーランド州 ヘイドン・ブリッジの郊外、イースト・ランデンズで十三人兄弟の末っ子として生まる。 ニューカッスルで絵画の技法を学んだ後ロンドンに出て、ガラスや磁器の絵付けに従事した。1811年、23歳の時からロイヤル·アカデミーに絵画を出品し、1812年の『忘却の水を探し求めるサダク』の様に画面いっぱいに壮大な風景を描き出し、それによって天変地異の圧倒的な力や破局的な様相を現出させている画風で注目を集め[1]、更に1820年作の『ベルシャザルの饗宴』の成功で人気画家となった。旧約聖書、ミルトンの『失楽園』の挿絵入り本や油絵をもとにした版画作品は広く流布した。1828年頃から次第に画から離れ、ロンドンの上下水道や鉄道線などの都市計画や発明に関わるようになったが、その結果破産同然となった。死の数年前から絵の作成を再開し代表作のひとつとなる『最後の審判三部作』を発表した[2]。
- ^ 『世界美術大事典』小学館、1989年12月。
- ^ a b c d e f g h “Dictionary of national biography (1885)”. University of Toronto Libraries. 2012年9月10日閲覧。
- ^ Lee, Sidney (Ed). Dictionary of National Biography, Volume 36 (1893).
- ^ “ジョン・マーティン”. 2012年9月10日閲覧。
- ^ “United Grand Lodge of England”. 2012年9月10日閲覧。
- ^ “Hazlitt, Gooden & Fox”. Hazlitt, Gooden & Fox Ltd.. 2012年9月10日閲覧。
- 1 ジョン・マーティンとは
- 2 ジョン・マーティンの概要
- 3 出典
「John Martin (painter)」の例文・使い方・用例・文例
- John AbrahamsとTina Linがアンケートデータの収集担当で、この作業は5 月5 日までに終わるでしょう。
- 今日は、皆さんをJohn Driscoll展にご案内する予定で、この展覧会は当美術館の30周年を記念して行われているものです。
- John Smith という名の英国人だ
- そんな英語を使うと Johnson が泣く
- 限定属格の例として、『John's mother(ジョンの母親)』における『John's(ジョンの)』がある
- 『John and Mary(ジョンとメアリー)』または『John walked and Mary rode(ジョンは歩き、そして、メアリーは乗り物に乗った)』における『and』、等位接続詞である;そして、『will you go or stay?(行くか、いてもらえますか?)』における『or』もそうである
- 『who visits frequently(その人はしばしば訪れる)』は、『John, who visits frequently, is ill(しばしば訪れるジョンは病気である)』の文の関係節である
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