クリス・アーウィンとは? わかりやすく解説

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クリス・アーウィン

(Chris Irwin から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/08 08:50 UTC 版)

クリス・アーウィン(Chris Irwin、1942年6月27日 - )は、イギリス出身のレーシングドライバーであり、フォーミュラ1世界選手権(F1)には1966年から1967年にかけて10戦に出場した。


注釈

  1. ^ なお、ヨーロッパF2選手権(1.6リッター規定)が始まるのは翌年の1967年からで、この1966年までF2は1リッター規定で争われており、この年から3リッター規定が導入されたF1とは排気量の違いが大きかった。
  2. ^ ジョン・サーティースはホンダにとってはただのドライバーではなく、サーティースはホンダの中村良夫と協力し、イギリスでホンダの前線部隊となるホンダ・レーシングを組織していた。チーム・サーティースもそれに協力し、人員のほか、ファクトリーの半分を車両整備などの作業場としてホンダに貸していた。
  3. ^ イギリスのホンダ・レーシングは2月にRA301の車体を完成させてテスト走行のために日本に送っていたが、日本の本田技術研究所では空冷F1車両のRA302の開発を優先していたため、RA301のエンジンは(設計は終わっていたにかかわらず)製造と組立てが後回しにされ、完成は開幕直前の4月半ばまでずれこんだ[13]。本田技術研究所はその後もRA302の開発に忙殺され、ホンダ・レーシングはRA301・2号車用のエンジンどころか、1号車用のエンジン部品の補給も満足に受けられず、(アーウィンの事故から半年後の)11月の最終戦メキシコGPまで、2台のRA301をレース走行可能な状態で持ち込むことができなかった[14]
  4. ^ 1967年時点でサーティースと中村はアーウィンの腕を買っていたが、F1で走らせることはしなかった。これは同年に登場したロータス・49フォード・コスワース・DFVエンジンの戦闘力の高さを正確に高く評価していたためで、急造したRA300は1967年時点ではサーティース車しかなく、旧型のRA273にセカンドドライバーを乗せても対抗不可能で、戦力分散と費用の浪費になるだけと判断したことによる[15]
  5. ^ 決勝レースに参戦したもう一台のフォード・P68も、オープニングラップでブレーキトラブルを起こしている[16]

出典

  1. ^ a b c d e f g h オートスポーツ 1968年1月号(No.30)、「クリス・アーウイン物語」(久保正明) pp.104–107
  2. ^ a b c d e Chris Irwin biography” (英語). Historicracing.com. 2023年2月23日閲覧。
  3. ^ a b c Chris Irwin” (英語). Grandprix.com. 2023年2月23日閲覧。
  4. ^ オートスポーツ 1968年2月号(No.31)、「68年シーズンの展望」(久保正明) pp.104–108
  5. ^ オートスポーツ 1968年2月号(No.31)、「国際スポーツ・トピックス」(ピーター・G・ベラミ) p.122
  6. ^ a b オートスポーツ 1968年5月号(No.35)、「68年型ホンダF-1の臨戦体制」 pp.77–80
  7. ^ a b グランプリ 2(中村1970)、p.130
  8. ^ HONDA-F1 '64~'68(1978)、「私の手記・HONDA F1グランプリ」(中村良夫) pp.53–105中のp.90
  9. ^ 伝説のレースを追って(中部2007)、「第3話 ホンダ・レーシングの情熱は封印されたのか──1968年7月7日 F1 フランスグランプリ」pp.65–87 ※初出はRacing On No.379
  10. ^ HONDA-F1 '64~'68(1978)、「ホンダF1/グランプリドライバー群像」(露戸理) p.121
  11. ^ グランプリレース(中村1979)、p.236
  12. ^ HONDA F1 1964-1968(中村1984)、p.92
  13. ^ F1地上の夢(海老沢1993)、「21」
  14. ^ グランプリレース(中村1979)、p.247
  15. ^ HONDA F1 1964-1968(中村1984)、「二度目のピーク」 pp.76–91中のp.91
  16. ^ a b c オートスポーツ 1968年7月号(No.37)、「ニュルブルクリンク1000km」(折口透) pp.39–42
  17. ^ オートスポーツ 1968年9月号(No.39)、「アメリカで戦い、イギリスで2連勝!」(生沢徹) pp.65–42


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