ビリャル (ヴォルガ・ブルガール)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ビリャル (ヴォルガ・ブルガール)の意味・解説 

ビリャル (ヴォルガ・ブルガール)

(Bilär から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 06:53 UTC 版)

ビリャルの遺構

ビリャルロシア語: Билярタタール語: Биләр / Bilärチュヴァシュ語: Пӳлер)は10 - 13世紀に存在したヴォルガ・ブルガールの都市である。

歴史

10世紀のアラブ人旅行家イブン・ファドラーンの記録によると、ビリャルは922年にブルガールの長アルムシ(ru)[注 1]によって建設された[1]。考古学的見地からも、ビリャル城址の最初期は10世紀に遡る[1]。ビリャルは西ザカミエ(ru)(現ロシア・タタールスタン共和国カマ川南部)の中心に位置した。現行政区ではタタールスタン共和国のアレクセエフスコエ地区(ru)ビリャルスク村(ru)(タタール語名Биләр / Bilär)にあたる。

ルーシの年代記(レートピシ)では、1164年以降にビリャルに関する記述がみられる。年代記中では「Великий Город / 大いなる城市」とも呼称された[2]。その人口は10万人を超え[3]、ビリャルの名はその人口に由来する[2]。13世紀にはヴォルガ・ブルガールの首都となった[4]。ルーシの年代記上の最後の言及は1236年であり、この年、ビリャルはモンゴルのヴォルガ・ブルガール侵攻に際し破壊された。その後、かつての威光を取り戻すことはなかった[5]

ビリャルの遺構は8k㎡に及び、他のいくつかの城址と共に、ビリャル歴史・考古・自然保護博物館[注 2]に管理されている。

脚注

注釈

  1. ^ 「アルムシ」はロシア語: Алмушからの転写による。
  2. ^ 「ビリャル歴史・考古・自然保護博物館」はロシア語: Билярский государственный историко-археологический и природный музей-заповедникの直訳による。詳しくはru:Билярский музей-заповедникを参照されたし。

出典

  1. ^ a b БИЛЯ́Р // Большая российская энциклопедия
  2. ^ a b 中澤敦夫, 吉田俊則, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(8) : 『キエフ年代記集成』(1181〜1195年)」『富山大学人文学部紀要』第68巻、富山大学人文学部、2018年2月、184頁、CRID 1390572174764448768doi:10.15099/00018264hdl:10110/00018264ISSN 03865975 
  3. ^ Халиков А. Х., Татарский народ и его предки, Казань, Татарское кн. изд-во, 1989, С.93,
  4. ^ БИЛЯР // Советская историческая энциклопедия
  5. ^ Биляр // Большая советская энциклопедия



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ビリャル (ヴォルガ・ブルガール)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ビリャル (ヴォルガ・ブルガール)」の関連用語

ビリャル (ヴォルガ・ブルガール)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ビリャル (ヴォルガ・ブルガール)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのビリャル (ヴォルガ・ブルガール) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS