黒田一貫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/25 05:13 UTC 版)
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黒田 一貫(くろだ かずつら、寛永20年(1643年) - 元禄11年10月15日(1698年11月17日)[1])は、江戸時代前期の筑前福岡藩大老。三奈木黒田家3代当主。通称は三左衛門[1]。
祖父は黒田一成、父は黒田一任(養子、久野重勝の孫)、正室は筑前秋月藩初代藩主・黒田長興の娘、勝子。子に一春、一利ら。長女・鶴子は野村祐春の妻となり、後の秋月藩主・黒田長貞の母となった。
寛文12年(1672年)には家督を継承した。元禄9年(1696年)には知行地の春日神社遷宮の大礼に際し、社殿を改築している。
福岡藩主、黒田忠之、光之、綱政の3代に仕えた。光之は幼少時、一貫の屋敷で過ごした[2]。
脚注
- ^ a b 『福岡県史資料 第2輯』(1933年)
- ^ No.052 福岡藩筆頭家老 三奈木黒田氏展 福岡市博物館
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