黒岩種直とは? わかりやすく解説

黒岩種直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:10 UTC 版)

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黒岩種直
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正10年8月28日1582年9月24日
別名 通称:掃部
主君 長宗我部元親
氏族 黒岩氏
父母 父:黒岩越前守
玄蕃、治部左衛門
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黒岩 種直(くろいわ たねなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将長宗我部氏の家臣。

略歴

父は百人力の剛勇で天下に名を馳せた黒岩越前守といい、土佐国安芸国虎御一門筆頭であり、 筆頭家老格。忠臣で殉死している。 土佐一条氏の御一門・筆頭、筆頭家老土居宗珊(一条家忠)とは義兄弟で大変、仲が良かったと伝わる。 種直はその主君と父の仇である長宗我部元親に仕えた。天正10年(1582年)8月28日、元親に従って中富川の戦い十河存保と戦い、戦死した。

軍記物である『土佐物語』巻第十三「中富川合戦の事」天正10年8月26日(28日の記述なし)には、その最期が次のように記述されている。黒岩掃部種直は敵を槍つけ首を取るも、主君を討ち取られて、かけつけてきた郎等(十河存保との記述はない)に後ろから諸を斬り落とされ、うつ伏せになったところを首をかき切られる。郎等は主君の首と種直の2首と共に去ろうとするが、それを見ていた中内木工右衛門が、種直の子である黒岩玄蕃にそのことを知らせる。親の仇に向かった玄蕃に気づいた郎等は2首を投げ捨て、相手をするが、玄蕃に左肩から右乳まで斬りつけられ、討ち取られる。玄蕃は父種直の首と敵2首の合わせて3首を持ち去る。

その他

子息の一人である黒岩治部左衛門についても、『土佐物語』巻第十「海部合戦の事」(天正3年)において記述がみられる。記述によれば、「矢違えの法」を身につけ、弓矢鉄砲も当たらず、で敵を討ち取っている(周囲は初め戯言として聞いていたが、この合戦で矢違えの法を信じるようになった)。

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