鮭川村立鮭川中学校とは? わかりやすく解説

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鮭川村立鮭川中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/05 05:09 UTC 版)

鮭川村立鮭川中学校
北緯38度49分52.6秒 東経140度13分45.9秒 / 北緯38.831278度 東経140.229417度 / 38.831278; 140.229417座標: 北緯38度49分52.6秒 東経140度13分45.9秒 / 北緯38.831278度 東経140.229417度 / 38.831278; 140.229417
国公私立の別 公立学校
設置者 鮭川村
併合学校 鮭川村立大豊中学校
校訓 感謝、博愛、創造
設立年月日 2006年4月1日
共学・別学 男女共学
学校コード C106236630014
所在地 999-5207
山形県最上郡鮭川村庭月2510-1
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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鮭川村立鮭川中学校(さけがわそんりつ さけがわちゅうがっこう)は、山形県最上郡鮭川村にある公立中学校である。

校訓

感謝、博愛、創造[1]

沿革

1947年(昭和22年)、鮭川村・豊里村豊田村各村は小学校に併設する形で中学校を設けた[2]。このうち鮭川村では1950年(昭和25年)に独立校舎が新築された[3]。豊里村と豊田村でも1950年に組合を設立し、両村共同の中学校建設に取りかかったが、資材調達難、冬季の降雪、突風による建築物の崩壊などに見舞われ、独立校舎が完成したのは1951年(昭和26年)12月のことであった[4]。豊里村と豊田村共同の中学校は大豊中学校と名付けられた。1954年(昭和29年)12月に豊里村と豊田村が鮭川村と合併し、大豊中学校は鮭川村立となった[3]

1960年(昭和35年)8月、大豊中学校の校舎が火災で焼失し、12月に復旧された。1961年(昭和36年)4月には今度は鮭川中学校の校舎が全焼した。校舎は1962年(昭和37年)3月に村内の別の場所に建て直された[3]。傷心の生徒を勇気づけるため、鮭川中学校では十字型駅伝競走大会という名称で、地区内を十字にまわる駅伝大会が企画された。大会は1961年から毎年行われていたが、2005年の第45回大会が最後となった[5]

2006年平成18年)3月、鮭川中学校と大豊中学校で閉校式が行われた[6]。新年度となった4月からは鮭川中学校と大豊中学校が統合、大豊中学校の校舎を用いて新設の鮭川中学校が開校した[7]

学区

  • 鮭川村全域

生徒数

年度 男子 女子
2014 69 73 142 [8]
2018 46 54 100 [9]

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ 学校紹介
  2. ^ 鮭川村史編集委員会編集『鮭川村史 通史編』鮭川村、1986年、1041-1042ページ。
  3. ^ a b c 『鮭川村史 通史編』1042ページ。
  4. ^ 『鮭川村史 通史編』1041ページ。
  5. ^ 『山形新聞』2005年4月30日付19面。
  6. ^ 「鮭川村 4月に大豊中と統合の鮭川中 閉校記念行事で歴史振り返る」『山形新聞』2006年4月10日付16面。
  7. ^ 「鮭川村 新・鮭川中開校式」『山形新聞』2006年4月10日付16面。
  8. ^ 平成26年度山形県学校名鑑
  9. ^ 平成30年度山形県学校名鑑

関連項目

外部リンク




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