高鐵山孝之進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 07:15 UTC 版)
高鐵山 孝之進(こうてつやま こうのしん、1942年7月9日 - 1996年4月14日)は、北海道小樽市廐町出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は菅 孝之進(すが こうのしん)。身長178cm、体重128kg、得意手は左四つ、寄り、押し。最高位は西関脇(1967年1月場所)[1]。
注釈
- ^ 「三役経験が新関脇の1場所のみ」という珍記録については関脇#新三役が関脇だった力士(平成以降)の節も参照。
- ^ 具体的には「1967年5月に綱取り場所を迎えたが5勝10敗の負け越しで終えた。これが北の富士の実力だ。」と北の富士に横綱の力が無かったことを主張していた。他にも、「大関時代に1度だけガチンコで戦ったら簡単に勝ってしまった。」とも記されている。
- ^ 女癖の悪い例としては他に大鵬が著書内で扱われる。
- ^ 「武蔵川(元横綱・三重ノ海)は私から年寄株を買った際、代金3億円をミカン箱に詰めて渡した。贈与税を脱税する目的で行われる工作であり、角界ではなじみのある方法だ。」という趣旨の記述が暴露本に収録されている。また、菅は弟子に年寄株を手配するためにすぐに動いた行動力を評価しており、反対に弟子の年寄株の手配において優柔不断な大鵬を酷評していた。
出典
- 1 高鐵山孝之進とは
- 2 高鐵山孝之進の概要
- 3 改名歴
固有名詞の分類
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