高松正道とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 高松正道の意味・解説 

高松正道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/23 08:58 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
高松正道

高松 正道(たかまつ まさみち、1877年明治10年)7月9日[1] - 昭和14年(1939年9月3日[2])は、日本の衆議院議員立憲国民党→純正国民党)、ジャーナリスト

経歴

堺県丹南郡野田村(現在の大阪府堺市東区)出身。文学寮高等科(現在の龍谷大学)を卒業。中央公論社中央新聞社大阪朝日新聞社の記者を経て、大阪新聞通信社の社長を務めた。

1917年大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に立憲国民党から出馬し、当選を果たした。その後、普通選挙を主張し、党議に敗れて離党した[3]

その他、大阪府立憲青年会幹事長、河泉農業組合長などを務めた。

出典

  1. ^ 『人事興信録』
  2. ^ 『衆議院議員略歴』
  3. ^ 『普選運動史及普選の心得』p.42

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 弘田勝太郎『普選運動史及普選の心得』而立社、1925年。
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高松正道」の関連用語

高松正道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高松正道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高松正道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS