高普とは? わかりやすく解説

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高普

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/06 04:40 UTC 版)

高 普(こう ふ、生没年不詳)は、北斉皇族は徳広[1][2]高歓の従甥にあたる。

経歴

高帰義の子として生まれた。9歳のとき、叔父の高帰彦とともに河州から洛陽に入った。高歓は高普を諸子と一緒に遊ばせた[1][2]東魏武定末年、安南将軍・太子左衛率となった[3]天保元年(550年)5月に北斉が建てられると、6月に高普は武興郡王に封じられた[4][5][6]河清3年(564年)3月、尚書左僕射となった[7][8][9]天統2年(566年)5月、尚書令に進んだ[10][11][12]武平2年(571年)、司空に上った[1][2]。武平4年(573年)4月、司徒に転じた[13][14][15]。武平6年(575年)、豫州道行台・尚書令となった。武平7年(576年)、後主に撤退すると、高普は太宰の位を加えられた。周軍が迫ると、高普は北周に降った。のちに長安で死去した。上開府・豫州刺史の位を追贈された[1][2]

脚注

  1. ^ a b c d 北斉書 1972, p. 189.
  2. ^ a b c d 北史 1974, p. 1858.
  3. ^ 魏書 1974, p. 755.
  4. ^ 氣賀澤 2021, p. 79.
  5. ^ 北斉書 1972, p. 52.
  6. ^ 北史 1974, p. 246.
  7. ^ 氣賀澤 2021, p. 120.
  8. ^ 北斉書 1972, p. 92.
  9. ^ 北史 1974, p. 284.
  10. ^ 氣賀澤 2021, p. 125.
  11. ^ 北斉書 1972, p. 98.
  12. ^ 北史 1974, p. 288.
  13. ^ 氣賀澤 2021, p. 134.
  14. ^ 北斉書 1972, p. 107.
  15. ^ 北史 1974, p. 294.

伝記資料

参考文献




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