馬瀬村立総島小学校下山分校とは? わかりやすく解説

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馬瀬村立総島小学校下山分校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/07 01:42 UTC 版)

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馬瀬村立総島小学校下山分校
国公私立の別 公立学校
設置者 馬瀬村
設立年月日 1905年
閉校年月日 1971年
共学・別学 男女共学
所在地 509-2200[注釈 1]
岐阜県下呂市馬瀬下山[注釈 2]
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馬瀬村立立総島小学校下山分校(まぜそんりつ そうじましょうがっこう しもやまぶんこう)は、かつて岐阜県益田郡馬瀬村に存在した公立小学校分校

概要

  • 総島小学校の分校であった。校区の下山地区は馬瀬村の最南部の地区である。
  • 下山地区が岩屋ダムのダム湖(東仙峡金山湖)に沈むため全住民が移転[1]したことにより、1971年廃校。
  • 校舎は移築され、馬瀬村の名丸地区の建設会社の砕石工場の事務所に転用された[2]

沿革

  • 1905年(明治38年) - 馬瀬村大字下山に総島尋常小学校下山分教場として開校。
  • 1907年(明治40年) - 総島尋常高等小学校下山分教場に改称する。
  • 1910年(明治44年) - 尋常科1~6年生の通学となる[注釈 3]。児童数が少ないため、1学級編成となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 総島国民学校下山分教場に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 馬瀬村立総島小学校下山分校に改称する。
  • 1971年(昭和46年)6月1日 - 廃校。

脚注

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  1. ^ 現在、郵便番号の設定はない。
  2. ^ 現在の住所表記
  3. ^ 小学校令改正により、1907年に尋常小学校は修業年限が1~4年を1~6年に変更。
  1. ^ 馬瀬村制施行百周年記念誌P.53。
  2. ^ 馬瀬村制施行百周年記念誌P.107。

参考文献

  • 馬瀬村制施行百周年記念誌 (百周年記念事業実行委員会 1989年)

関連項目





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