項伯
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項 伯[1][2](こう はく、Xiàng Bó、? - 紀元前192年)は、中国の戦国時代末期から前漢初期にかけての政治家・武将。項燕の子で、兄弟[3] に項梁がいる。子は項睢(劉睢)。項羽の叔父であることや鴻門の会で劉邦を項荘から守ったことで知られる。[4][5]。後に劉姓を賜り劉 纏(りゅう てん)と改名した。
- ^ 『史記』高祖功臣侯者年表では項纏と記載され、注釈である『史記索隠』では、項伯のことを指すとしている。
- ^ 『史記集解』及び『漢書』顔師古注によれば、伯は字であり、名は纏(てん)という。
- ^ 『史記』には末の叔父とあるが、項梁もまた末の叔父とある。なお、伯という字は長男によく用いられる。
- ^ 以下、特に注釈がない部分は、『史記』項羽本紀による。
- ^ 年号は『史記』秦楚之際月表第四による。西暦でも表しているが、この時の暦は10月を年の初めにしているため、注意を要する。
- ^ 『史記』留侯世家
- ^ 『史記』高祖功臣侯者年表に『兵初起,與諸侯共撃秦,為楚左令尹』とあるため、『兵初起』を『項梁・項羽の決起の初めに参加』と解する。
- ^ 『史記』高祖功臣侯者年表
- ^ a b 『史記』留侯世家
- ^ 24両。1両は24銖。
- ^ 佐竹靖彦は、「巴蜀王にとどまっていれば、まったく外部諸侯との連絡が取れなくなったはずの劉邦は、漢中を領地に加えてもらったおかげで、諸侯との連絡を保つことが可能となった」としている。佐竹靖彦『項羽』193頁
- ^ 『史記』黥布列伝
- ^ 『史記』高祖功臣侯者年表
- ^ 佐竹靖彦『項羽』276頁
- ^ この内容は、現行の『西漢通俗演義』では確認できず、『通俗漢楚軍談』翻訳者がつけくわえたものと考えられる。
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