陶弘護暗殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/03 02:48 UTC 版)
政弘の代は、周防守護代陶弘護とともに大内家重臣として重きをなし、上洛した政弘の留守を守った。1482年(文明14年)に、宴席でその弘護が遺恨のあった吉見信頼に討たれる事件(大内山口事件)が起こるが、弘矩はその場で信頼を成敗し、事態を収拾する。その後は大内家随一の重臣として権勢を振るう。
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