陳守娘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/06 12:10 UTC 版)
陳 守娘(ちん しゅじょう[1][2]、台湾語: Tân Siú-niû)は、台湾の妖怪[1][2]。非業の死により怨霊となった清代の女性。「台湾最強の女幽霊」と呼ばれる[1][3][4]。
物語
清代の台湾、道光末期(1850年ごろ)[1]。台南の街に陳守娘という女がいた[1]。陳守娘は、夫の林寿(りんじゅ)に早逝され、若くして未亡人となった[1]。
陳守娘の美貌に目をつけた役人(師爺)は、林寿の母と妹(陳守娘の姑と小姑)に賄賂を贈り[1]、陳守娘を身売りさせようとした[4]。陳守娘がこれを拒むと、姑と小姑は陳守娘を虐待し[4]、陳守娘は憤死してしまった[1]。
陳守娘の死後、民は事件を知ると、役所に公正な裁きを期待したが、知県の王廷幹は事件を隠蔽しようとした[1]。激怒した民が暴動を起こすと、姑と小姑は死罪となったが、師爺は大陸に逃亡してしまった[1]。
陳守娘は怨霊となって師爺を殺した後、青い光となって台南を飛び回り[1][2]、民に災いをもたらした[4]。民が永華宮の広沢尊王(民間信仰の神)に助けを求めると、広沢尊王は赤い光となって戦ったが、決着は付かなかった[1][5]。すると観音菩薩が現れて仲裁し、陳守娘は節孝祠に祀られることになり、災いは止んだ[1]。
背景
物語は多分にフィクションを含むが、もとになった事件は実際にあった可能性が高い[1][2]。王廷幹が実際に関わったかは不明だが、王廷幹は民に評判が悪かったため、この役をあてられたとも考えられる[1]。
資料として、劉家謀『海音詩』(1855年)、連横『台湾通史』(1920年)、相良吉哉『臺南州祠廟名鑑』(1933年)などがある[5][6]。資料によって細部が異なる[1][5]。
陳守娘の物語は、当時の女性の社会的地位の低さを反映している[2][4][5](中国の女性史)。同様の女性の物語として林投姐の物語がある[2]。
日本統治時代から戦後の台湾では、楊秀卿のような盲目の女性月琴奏者が、陳守娘の物語を弾き語っていた[1]。
現代の受容
2020年、陳守娘を題材にした漫画『守娘』(小峱峱作)が、台湾の漫画賞「金漫獎」新人賞を獲得した[7]。2023年、KADOKAWAから日本語訳が刊行されている[3]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 何敬堯 著、甄易言 訳『図説 台湾の妖怪伝説』原書房、2022年。ISBN 978-4562071845。168-174頁。
- ^ a b c d e f g 何敬堯 著、出雲阿里 訳『台湾の妖怪図鑑』原書房、2024年。 ISBN 978-4562074068。144-145頁。
- ^ a b “『守娘』『スクールバック』『ドラQ』……漫画ライター・ちゃんめい厳選! 7月のおすすめ新刊漫画”. Real Sound|リアルサウンド ブック (2023年8月1日). 2025年11月4日閲覧。
- ^ a b c d e “台湾で出会う 無縁仏供養―― 「有応公」信仰の 歴史と意義” (中国語). 台湾光華雑誌 Taiwan Panorama | 国際化、二カ国語編集、文化整合、世界の華人雑誌. 2025年11月4日閲覧。
- ^ a b c d 小峱峱『守娘 下』KADOKAWA、2023年。 ISBN 978-4046826268。Kindleの位置No.134;174
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中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:臺灣通史/卷35#陳守娘 - ^ “臺灣漫畫家專訪-小峱峱 - 臺灣漫畫基地” (中国語). www.tcb.tw. 2025年11月4日閲覧。
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