阿倍意宇麻呂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 04:51 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動阿倍 意宇麻呂(あべ の おうまろ)は、奈良時代の貴族。名は億宇麻呂とも記される。官位は従五位上・主船正。
経歴
天平宝字2年(758年)従五位下に叙爵。天平宝字4年(760年)内蔵助、天平宝字5年(761年)大炊頭と淳仁朝では京官を務めるが、天平宝字7年(763年)出雲介として地方官に転じる。
称徳朝の神護景雲3年(769年)主船正として京官に復し、光仁朝の宝亀2年(771年)従五位上に叙せられている。
官歴
『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天平宝字2年(758年) 8月1日:従五位下
- 天平宝字4年(760年) 正月16日:内蔵助
- 天平宝字5年(761年) 10月1日:大炊頭
- 天平宝字7年(763年) 正月9日:出雲介
- 神護景雲3年(769年) 8月19日:主船正
- 宝亀2年(771年) 11月25日:従五位上
脚注
- ^ 『日本後紀』天長3年8月2日条
出典
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