阮玲玉
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阮 玲玉 | |
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各種表記 | |
ラテン字: | Ruan Lingyu |
英語名: | Lily Yuen |
繁体字: | 阮鳳根 |
ラテン字: | Ruan Fenggen |
阮 玲玉(げん れいぎょく、ロアン・リンユィ、1910年4月26日 - 1935年3月8日)は、中国の女優。1930年代の中国無声映画の大スターだった。
生涯
本名は阮鳳根、学名は阮玉英。広東省中山県の貧しい家庭に出生[1]。数え年17歳頃、富豪の息子である男性Aに見初められ、同棲する[1]。
生活のため16歳で映画会社のオーディションを受けて合格。明星公司に入社して、1926年に『掛名的夫婦』で主演。
5本の作品に主演した後、1929年に大中華百合影片公司に移籍する。『情欲宝鑑』など6本に主演の後、1930年に聯華影業公司に移り、1930年に金山と共演した孫瑜監督の『故都春夢』で女優の地位を築いた。『野草閑花』で人気が高まり、1932年に『三個摩登女性』『城市之夜』、1933年に『おもちゃ』とヒット作に主演。1934年に『女神』、1935年に蔡楚生監督の『新女性』と左翼映画運動系の進歩的な作品に主演する。
豪商である唐季珊と恋仲になって同棲し、前夫Aとは協議の上で離婚したはずが、契約不履行をAに告訴され1935年3月9に公判が開かれる予定だった[1]。日本では「法廷での暴露を恐れ一切を清算」しようと服毒自殺に至ったと報じられた[1]。直前の7日にはファンと共にダンスに興じるなどし、人生の最後を楽しんでいたという[1]。
遺書には「人言可畏(仮訳:人の言葉は恐ろしい)」と記されていた。中国社会に苦しむ女性のいくつかの典型を演じて、多くの映画観客の支持を得ていただけに、人気女優の突然の自殺は大きな衝撃を与えた。葬儀には数十万ともいわれるほどの人々に見送られて行われた。
1992年のスタンリー・クワン監督による伝記映画『ロアン・リンユィ 阮玲玉』ではマギー・チャンが阮玲玉を演じている。
出演映画


- 掛名夫妻(1926年)
- 楊小真(1927年)
- 血淚碑(1927年)
- 蔡狀元建造洛陽橋(1928年)
- 白雲塔(1928年)
- 珍珠冠(1929年)
- 情欲宝鑑(1929年)
- 劫後孤鴻(1929年)
- 大破九龍山(1929年)
- 火燒九龍山(1929年)
- 銀幕之花(1929年)
- 婦人心(1929年)
- 故都春夢(1930年)
- 自殺合同(1930年)
- 野草閑花(1930年)
- 恋愛與義務(1931年)
- 一剪梅(1931年)
- 桃花泣血記(1931年)
- 玉堂春(1931年)
- 続故都春夢(1932年)
- 三個摩登女性(1933年)
- 城市之夜(1933年)
- おもちゃ 小玩意(1933年)
- 人生(1934年)
- 帰来(1934年)
- 再会吧,上海(1934年)
- 香雪海(1934年)
- 女神 神女(1934年)
- 新女性 新女性(1935年)
- 国風(1935年)
脚注
注釈
出典
外部リンク
- 阮玲玉のページへのリンク