長者ヶ平官衙遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 08:07 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動長者ヶ平官衙遺跡(ちょうじゃがだいらかんがいせき)は、栃木県那須烏山市鴻野山にある、奈良時代から平安時代にかけての官衙遺跡である。2009年(平成21年)2月12日、国史跡に指定された。指定名称は「長者ヶ平官衙遺跡 附東山道跡」である。
概要
那珂川水系の荒川によって開析された喜連川丘陵の上面に位置する[1]。
遺跡は、掘立柱建物の正殿と東西脇殿を「コ」字形に配し、正殿の南に前殿、八脚門が並ぶ政庁域、その西側には総柱の掘立柱建物や礎石建物の倉庫群が並列して配される正倉域が存在する。政庁の東側にも総柱の建物が建ち並び、倉庫群と考えられている。北側には桁行1間、梁行1間の楼と推定される掘立柱建物が2棟、東西に並んで配置されている[1]。
長者ヶ平官衙遺跡の北西約400mで、8世紀から8世紀以降の古代東山道跡が見つかっている。路面幅は5〜12m。また、長者ヶ平官衙遺跡の正倉域に西接し、東山道跡と交差する幅9m以上の道路跡も確認されており、いずれもこれらを踏襲する道が残されている[1]。
本遺跡は東山道跡に近接する交通の要衝に立地しているため、下野国芳賀郡にあった新田駅家、芳賀郡衙ないしそれに関連する施設である可能性が指摘されている[1]。
これらの遺跡はいずれも良好に残存していて、それぞれの構造や変遷が明確になるなど、古代国家の交通体系や地方支配体制を具体的に示すものとして重要である[1]。
脚注
座標: 北緯36度41分07.7秒 東経140度02分21.8秒 / 北緯36.685472度 東経140.039389度
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