長徳寺 (川口市)
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長徳寺 | |
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所在地 | 埼玉県川口市芝6303 |
位置 | 北緯35度50分29.3秒 東経139度41分25.2秒 / 北緯35.841472度 東経139.690333度座標: 北緯35度50分29.3秒 東経139度41分25.2秒 / 北緯35.841472度 東経139.690333度 |
山号 | 大智山 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 貞治3年(1364年) |
開山 | 古先印元 |
開基 | 秀田等栄 |
文化財 | 龍派禅珠頂相、中峰明本頂相、寒松日記及び寒松稿(以上、埼玉県指定有形文化財)、他 |
法人番号 | 5030005012280 |
長徳寺(ちょうとくじ)は、埼玉県川口市にある臨済宗建長寺派の寺院。
歴史
1364年(貞治3年)、秀田等栄の開基である。秀田等栄は鎌倉公方足利基氏のため、寺を創建した。創建後に基氏は自らの祈願所とした[1]。
戦国時代は、岩付太田氏[2]の保護を受けた。江戸時代は寺領40石が与えられた[1]。
天正10年(1582)に中興の祖・龍派禅珠(りゅうはぜんじゅ・号寒松)が住寺職となっている。この時、寺は栄え絢燗たる文化が開花した。また、天正18年には徳川家康により寺領40国を安堵され、これ以後長徳寺は徳川家代々の保護を受け、建長寺派の四大柱の一時院として発展したのである[3]。 本寺は慶長年間に2度の火災にあっており、当時芝村の代官であった熊沢忠勝に助けられ再建を果たしている[4]。
所属宗派の本山である建長寺とは、「本山護持の寺」の関係にあり、当寺住職は建長寺に栄転することが多い[1]。
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寒松堂(本堂)
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三重の塔(開山塔)
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信徒会館正面
文化財
- 龍派禅珠頂相(埼玉県指定有形文化財 昭和33年3月20日指定)[5]
- 中峰明本頂相(埼玉県指定有形文化財 昭和33年3月20日指定)[5]
- 寒松日記及び寒松稿(埼玉県指定有形文化財 昭和30年11月1日指定)[6]
- 龍派禅珠墓(埼玉県指定史跡 昭和12年3月31日指定)[7]
- 長徳寺のビャクシン(埼玉県指定天然記念物 昭和12年3月31日指定)[8]
- 長徳寺の獅子頭及び神楽面(川口市指定有形文化財 昭和54年5月2日指定)[9]
- 長徳寺三十六歌仙絵扁額(川口市指定有形文化財 平成5年12月24日指定)[10]
交通アクセス
- 蕨駅より徒歩36分。車で約7分。
脚注
参考文献
- 花井泰子、花井敬、青木忠雄 著『さいたま寺社めぐり 夫婦で訪ねた四季の寺社76選』幹書房、1999年
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